最近は、「先生ガチャ」という言葉さえある。担任が当たりか外れか。授業が分かりやすいか、連絡が丁寧か、親の気持ちをくむか。教師は、教育の中身だけでなく、人柄や経歴や話し方まで含めて値踏みされる。

 だからこそ、せめて授業だけはきちんと準備したかった。

 ここで手を抜けば、明日すぐに子どもに伝わる。

 そして、その不満はやがて家庭に持ち帰られ、保護者の評価になる。

 H先生は黙って教材研究を進めた。

後回しにされたのは
大切なはずの「授業」だった

 板書の流れを考え、発問を書き出し、プリントを直し、クラスの反応を思い浮かべる。

 本当なら、もっと時間をかけたい。だが、時計の針は無情に進んでいく。

 22時。22時30分。22時47分。

 そこへ、教頭が職員室に入ってきた。

「H先生、何してるんだ!」

 H先生は顔を上げた。

「明日の授業準備を……」

「だめだよ、こんな時間まで。早く帰らないと。学校に残りすぎだ」

 叱責というより、心配から出た言葉だった。だが、その正しさが、H先生には少しだけ苦かった。

 早く帰れ――それはその通りだ。

 しかし、ならいつ授業を準備すればよかったのか。

 子どもが帰ってこないと連絡が来たときか。

 19時にずれ込んだ保護者面談の前か。日中の授業と生活指導と雑務の合間か。それとも、朝、誰よりも早く学校に来た時間か。

 H先生は、机の上のプリントを見た。まだ詰め切れていない箇所がある。本当なら直したい。もう1問、差し込みたい。説明の順番も変えたい。

 だが、教頭の言葉に逆らうことはできなかった。

「……はい、帰ります」

『カスハラ化する保護者たち』書影カスハラ化する保護者たち』(西岡壱誠 星海社、星海社新書)

 資料をまとめ、鞄に入れた。準備は中途半端なまま終わった。

 職員室を出るとき、H先生はふと思った。

 今日いちばん後回しにされたのは、授業だったのではないか、と。

 子どもを探すことも大切だ。保護者の話を聞くことも大切だ。安全確認も、連携も、地域対応も、全部必要だ。

 だが、その全部を引き受けた結果、教師が教師であるための時間――授業を考える時間だけが、最後に削られていく。

 そのことに、学校はもう少し危機感を持つべきなのではないか。

 H先生は、遅い電車に乗りながら、明日の一時間目の流れを頭の中でもう一度なぞった。