
女優・タレントの黒柳徹子さんの自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』。誰もが知る戦後の大ベストセラーだが、同著がブームとなった1980年代は、各地で学校崩壊と言える事件が頻発し、学校教育の分岐点でもあった――。※本稿は、河野誠哉『個性幻想――教育的価値の歴史社会学』(筑摩選書、筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。
戦後最大のベストセラー
『窓ぎわのトットちゃん』
何せ戦後最大のベストセラーなので詳しい説明は不要かもしれないが、いちおう概要紹介しておくと、『窓ぎわのトットちゃん』は女優・タレントである黒柳徹子がかつて通った小学校「トモエ学園」での日々をつづった自伝的物語である。
舞台は昭和10年代の東京。タイトルにもある「トットちゃん」とは、子供のころ舌足らずのため自分の名前の「徹子ちゃん」を正しく発語できず、また自分でもそういう名前だと自己認識していた著者自身のことである。

このトットちゃんは、いったん入学した公立の小学校を1年生にして「退学」になってしまう。授業中に机のフタを際限なく何度も開け閉めしたり、外を歩くチンドン屋さんを教室の窓から大声で呼び込んだり、窓の外で巣作りをしているつばめに「何してるの?」としきりに話しかけたりという、トットちゃんの度重なる奇矯な振る舞いに、担任の先生が音を上げてしまったのである。
要するにトットちゃんは一般の小学校では手に余るタイプの子供だった。そこでトットちゃんの母親は、そんな娘を受け入れてもらえそうな新しい転校先を求めて奔走することになる。そして見つけたのが、そのころ自由が丘にあった私立のトモエ学園。小林宗作校長が創設した、全校生徒50名たらずの小さな学校だった。
このトモエ学園は、根っこのある2本の木が正門で、校舎の一部として廃車になった電車の車両が再利用されていた。そして校長先生は、入学を決める面談の際に、「さあ、なんでも先生に話してごらん」と、4時間もぶっ通しでトットちゃんの話を聴いてくれるような人物だった。
かくして「電車が教室」というトットちゃんにとっては夢のような環境のもとで、ふつうの公立小学校とは異なる、一風変わった学校生活が展開されていくのである。
ブームの背景にあった
学校教育の閉塞状況
それにしても『窓ぎわのトットちゃん』はどうしてこのような社会現象と言えるほどの爆発的なブームを巻き起こしたのだろうか。