トモエ学園とは、教育者の小林宗作によって1937年に東京の自由が丘に創設された旧制の私立幼稚園・小学校である(1960年代まで存在)。

 この小さな学校の背景には、大正デモクラシーと呼ばれた思潮とも関わる先進的な教育観があった。大正自由教育運動とも呼ばれるもので、生徒の感受性や主体性を重視する自由主義的・芸術主義的な教育観である。

 トモエ学園では、時間割というものがなく、各人が勉強する順番を選ぶことができた。校舎は車輪が外された電車。決まった席はなく、各自が好きな席を選んだ。校歌は「トモエ、トモエ、トーモエ」だけ。小林がパリで学んだリトミック教育(身体と精神の調和を重視するリズム教育法)を実現させた学校だった。

 高名なヴァイオリン奏者を父に持つ黒柳は、開放的な雰囲気の家庭で育った。その雰囲気はトモエ学園とも相性が良かった。『窓ぎわのトットちゃん』を読めば、トモエ学園での教育が、そして東京大空襲による学園の焼失を通して体感された戦争が、黒柳の精神形成においていかに重大なものだったかを理解できるだろう。

1980年代の読者たちが
共感した戦後の記憶

『彼女たちの「戦後」』書影彼女たちの「戦後」』(山本昭宏、岩波書店)

 80年代初頭は、一方では世界的反核運動が盛り上がりをみせ、他方では少年の非行や管理教育などが社会問題化していた時期でもあった。この作品のなかで回想されたトモエ学園の自由な校風と、それが戦争によって途絶えるという語り口は、人びとの反戦意識と水面下でつながっていた。

 それは、たとえば、次の場面にわかりやすく表れている。軍需工場で軍歌を演奏することを拒んだ父親にトットちゃんが共感する場面である。演奏すればお礼として米や砂糖がもらえるかもしれないが、ヴァイオリンで軍歌は弾けないと父親は言う(なお黒柳の父は1943年の夏、37歳のときに補充兵として歩兵となり、敗戦後はシベリア抑留を経て1949年の年末に帰国した)。

『窓ぎわのトットちゃん』の「成功」を別の角度から理解することもできる。80年代という「豊かな」時代の日本社会は、上流家庭だった黒柳家の「豊かさ」を、特異なものとしてではなく、自然なものとして受け止めることができた。結果的に、この作品は80年代の読者にも共感が容易で、時宜を得たものになったのではないだろうか。