家政婦役を演じて知った
身なりで変わる扱いの差
以下ではそれを確認していくが、手始めとして、NHK連続テレビ小説の『繭子ひとり』(1971年-1972年)という作品を取り上げよう。この作品は、エッセイなどを求められるようになった黒柳が、何度か繰り返して言及している作品であり、彼女はこの作品を通して自分自身を語っていると思われるからだ。
NHK連続テレビ小説『繭子ひとり』は、山口果林が主演を務めた人気作である。このドラマでの黒柳の役柄は、青森県八戸市出身の「田口ケイ」という女性だった。「田口ケイ」は夫の死後、缶詰工場などで働いて、息子と年老いた母との生活を支えてきたが、よりよい待遇を求めて上京し、家政婦になる。
生活に追われて身なりに構う余裕はないという設定であったため、黒柳は自ら工夫を凝らして、衣装やメイクで役作りに励んだ。じつに黒柳らしいと言うべきエピソードは、ここからである。黒柳は、自分が演じる役柄の背景には、決して恵まれた現実を生きているわけではない名もなき無数の女性たちがいるということを、身をもって感じ取っていくのだった。
撮影の前後や合間にスタジオを出る際には、その都度着替えてメイクを落とすわけにもいかないため、どうしても「田口ケイ」の姿のままで歩き回ることになる。最初は変装の面白さを感じていた黒柳だったが、次第にあることに気がつき始める。
どこに行っても「汚いおばさん」という扱いを受けるのだ。廊下や食堂などでこちらから挨拶をしても無視され、店員からは邪険に扱われ、トイレでは人に押しのけられたという。こうした体験を経て、黒柳は「こんなにも人びとは、容貌、いでたちで差別するものかと、冗談でなく哀しいおもいをした」。
しかしながら、黒柳は思い直す。自分は芸能人だから、親切にされるのに慣れており、それゆえに邪険な扱いをされたと感じてしまったけれども、人びとは別に差別しているわけではないのではないか。それが普通なのではないか。ウェイトレスがただ黙ってお皿を置いただけなのに、それをガチャンと置いたと受け止めて卑屈になるのは、自分がこれまであまりに恵まれすぎていたからだ、と。







