安倍派が100人もの大派閥に発展したのも、こうした小選挙区制との関係が深い。安倍さんの、解散・総選挙に打って出るタイミングなど、勝負カンのよさによるところが大きかったのはもちろんだろうが、田中さんや竹下さんらのような、カネの力で仲間を集めるという無理な手法をとらずに最大派閥を維持できた理由は、この選挙制度の活用にある。
公認権を握る主流派に
議員たちは近づいていく
もとより候補者全員が安倍派に入るわけではないし、安倍派でなくとも父や祖父などの地盤を引き継ぐ形の世襲議員は党の公認を得やすく、当選の確率も高い。世襲議員が増えたのも小選挙区制の影響の1つの表れだろう。
いずれにしてもそうした事情から、安倍派以外の派閥も概して、安倍派と対立するより協調した方が党や内閣の役職の配分、あるいは選挙の際の自派候補者の公認を得やすいと考えて、安倍さんや安倍派との連携を好む。
カネで集めたわけでもないのに、安倍派が選挙のたびに派閥を肥大化させ、また自民党自体、かつてのような党内対立が影をひそめ、安倍一強体制、あるいは安倍総主流派体制というような状況が生まれたのは、こうした背景によるところが大きい。
みんなが安倍さん頼みという党内の雰囲気は、田中政権時代とはまるで対照的だ。あの頃は、「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というざれ歌が、田中派のメンバーから聞こえた。金丸さんが中曽根支持へ派内をまとめようと凄んだ頃のことだ。親分の田中さんの命令で、意に添わなくても中曽根政権という駕籠を担がなければならないという自嘲をこめて、政治家たちがそれぞれ、政権作りの役割分担を果たしていた。
ところが近年は、神輿を担ぐどころか、神輿にぶら下がって当選を果たし、当選を重ねて党や内閣、国会の役職にありつく、といった風潮が一般的となった。なにはともあれ当選しなければ始まらない。そうした当選第一主義が、有権者の目よりも党内の空気に敏感な政治家たちを生み、党組織全体の弛緩を招いた。







