国益や有権者よりも
「神輿」に目が向く議員たち
首相官邸の意向に従順な党側の総主流派体制は、政局の安定という観点からすれば望ましいに違いない。しかし、何かの要因でひとたび内閣支持率や政党支持率が急落し、そんな時に首相が「解散・総選挙の意向」などをちらつかせたりすると、それまで従順だった議員たちが一転して「この首相では自分の選挙が危なくなる」と、手のひらを返したように反旗を翻すことにもなる。
「菅降ろしは起きない」という政治学者の予測に反して菅政権があっけなく崩壊したように、小選挙区制のもとでの当選第一主義は、大勢順応の無気力さとわが身大事の無節操の両面を秘めた、近年の政治の特異現象といえよう。
『長期政権の条件』(老川祥一、新潮社)
そこでは、安定と緩みは違うという大事な視点が欠けている。さまざまな利害や思惑が渦巻く政治の世界で安定的に政権を運営していくためには、小さなミスやトラブルでも、たえず緊張感をもって警戒していなければならない。逆に組織体制が緩むと、必要なところに目が届かず、あるいは権力の周辺にいる側近たちに傲慢な振る舞いが目立ったりして、権力の支え手たちの間に不協和音が生じることが珍しくない。
第二次安倍政権が絶頂期の頃、予算委員会の審議中、官邸官僚が野次を飛ばした一幕など、その典型と言える。官邸に派遣された官僚は、官僚の世界では優越的な立場にあるといえるが、政治家との関係でみれば補佐役にすぎない。野党議員といえども、国会議員としては与党も野党も閣僚も国民の代表であって、それを一介の官僚が野次るなど、心得違いもはなはだしい。私にはこれが、安倍政権のピークの終わり、輝きが消えていく予兆のように感じられた。







