一夜で集めた20億円は
どこへ行ったのか

 その後、何年かするうちに他の派閥の幹部らの中にも似たような後援会作りが流行り出し、〇〇君を「励ます会」や「育てる会」といった政治資金集めのパーティーがあちこちで開かれるようになった。それに意を強くしてか、竹下さんも政治資金パーティー方式を次第に拡大していく。

 そして1987年5月、ポスト中曽根の総裁選を9月に控えて竹下さんが開催した資金パーティーでは、なんと20億円もの巨額の資金を集めたといい、「数十億円もの金を、いったい何に使うというのか」(読売新聞87年5月23日付け社説)と、批判を受ける事態にまで発展した。

 秋の総裁選では、中曽根康弘さんが後継者を指名するという「中曽根裁定」で竹下さんが後継総裁・首相に選ばれたため、実際にはカネが乱れ飛ぶ総裁選にはならず、問題の巨額の資金はどこにいったのかも謎のままとなった。当時は、カネ集めの手法に違法性がなければ、支出先を追及することに世間もさほど神経質ではなかったせいかもしれない。

 その後、90年代にかけての一連の政治改革で、パーティー方式の資金集めに関してさまざまな規制が加えられたが、支出先の不透明さはそのまま残り、30年以上ものち、2023年からの政治資金パーティーをめぐる「裏金」問題が自民党の屋台骨を揺るがせる大事件に発展することになるとは、さすがの竹下さんも想像していなかったろう。

用意周到な首相の足を
すくったリクルート事件

 竹下さんとしては、きれいなやり方でカネをたくさん集め、その集金力を「政治力」として政権獲得につなげる、という手法を成功させたわけで、してやったりという心境だったのだろうが、好事魔多し、思いもかけないところに落とし穴が待っていた。1988年のリクルート事件である。

 当時竹下さんは首相の座に就いてほぼ半年、宿願の消費税導入のための法案成立に全力を挙げている最中だった。得意の国会対策的手法で野党への根回しに成功し、88年末には税制改革関連6法案の成立にこぎつけたが、その一方でリクルート事件の捜査も翌89年にかけて拡大の一途を辿る。中曽根康弘、安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄、加藤六月など自民党の実力者ら、さらに社会党、民社党、公明党など一部野党を含め、約40人もの国会議員の名前が取りざたされる事態となった。