竹下さんの場合、当初は事件との関与についてさほど話題になっていなかったが、89年4月に入って、自己調査の結果として、リクルート社から献金やパーティー券の名目で資金提供を受けていたことを国会に報告した。この段階では、未公開株の譲渡問題とは別個の話だという趣旨で、それ以上の関わりはないと強調していたが、その直後に、竹下さんの秘書が87年の総裁選の時期にリクルート側から資金の融通を受けていたことが報道され、一転して窮地に立たされた。
とくに4月は前年末に成立させた消費税の導入がスタートしたばかり。新税で国民の負担感が鮮明なところに政治家のカネをめぐる不祥事が重なったとあって、国民の怒りは頂点に達し、竹下さんはあっという間に退陣に追い込まれてしまった。
田中さんのもとで辛苦を重ね、用意周到、秘術を尽くして政権を握り、長期政権を確信していたはずの竹下さんだったが、わずか1年7カ月、576日の短命政権に終わってしまった。
多分、政権復帰をめざしていたのだろう。後継政権には宇野宗佑さん、その宇野さんが女性問題でこれまた短命で倒れると次は海部俊樹さんと、自分と初当選時期の近い人を推し、自分より若手の政治家に政権が渡って時計の針が進んでしまわないよう算段をめぐらせたのだろうが、リクルート事件が招いた政治不信の根は深かった。政治改革問題の紛糾で竹下派自体が分裂状態となり、宮澤喜一首相に対する内閣不信任案の可決、解散・総選挙を経て93年7月、自民党政権の崩壊、8月には日本新党の細川護熙さんを首相とする7党1会派の連立政権の誕生という、歴史の大転換を招いてしまった。
竹下政権失敗の原因は
「数とカネ」への過信
では何が竹下さんの失敗だったのか。142人もの大軍団を率いた「田中支配」の大半を引き継ぎ、「竹下支配」とまで呼ばれる大勢力を擁して、退陣後も、宇野、海部、宮澤と、後継政権作りを主導するだけの「数とカネ」を誇った竹下さんの、どこに失敗の要因があったのだろうか。
その「数とカネ」への過信こそが敗因ではなかったかと、私には思える。カネの集め方、カネを使って数を集める手法は、これまで述べてきたように、田中さんと竹下さんは全くといってよいほど対照的だが、数が大事、数集めにはカネが大事、という発想に関して、2人は驚くほど共通していたようにみえる。
『長期政権の条件』(老川祥一、新潮社)
だが、カネの力、派閥の勢力の大きさがモノをいうのは自民党内だけ、あるいは一部野党が影響下にあるとしても永田町という政界の中だけの話であって、広く国民一般にまでは及ばない。かえってカネをめぐる醜聞や権力争いは、有権者にとっては不快な話題としか映らない。
しかも、派閥の規模が拡大すればするほど、派内の不協和音も拡大する。政治改革をめぐって竹下派内で、梶山静六さん、橋本龍太郎さんらと、小沢一郎さん、羽田孜さん(のち首相)らの間の対立が深まり、結局、宮澤内閣に対する不信任決議案採決に際して、派内どころか自民党そのものが分裂してしまったことは、「数とカネの政治」の限界を示している。
せっかく消費税導入問題では、国民に直接訴えたいと、街頭演説のような「辻立ち」までして取り組んだ竹下さんだったが、党内最大の派閥勢力とそれを支える資金力への依存が足元を掘り崩していたことに気づかなかったようだ。







