小説・昭和の女帝#42Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】複雑な家庭で育った「昭和の女帝」真木レイ子は、政界の黒幕の愛人になることで巨額の遺産を手に入れた。そのカネを政治家たちにばらまき、永田町で成り上がった彼女は、ライバルだった“庶民宰相” 加山鋭達との権力闘争に勝利する。そして、最後の大仕事として政界再編を仕掛ける。(『小説・昭和の女帝』最終回)

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ライバルだった二人の元女性秘書が語り合う “庶民宰相”の思い出

 レイ子が、加山鋭達の秘書兼愛人だった小林亜紀の事務所を訪れたのは、クリスマスイブの夕方のことだ。

 脳梗塞で倒れた加山が回復したときに帰れる場所をつくるため、亜紀は彼女自身の事務所を構えていた。

 事務所に入って、レイ子はにわかに動揺した。

 正面の壁に、加山の2枚の写真が掛けてあった。1枚は全軍に指令を出す将軍のような厳しい表情のものだ。その写真を見ると、いまだにレイ子は自分を脅かす天敵を目の前にしたように身構えた。もう1枚は、はにかんだ青年のような微笑を湛えた写真だった。レイ子は自分の思春期のころの写真を見せられたような、甘酸っぱい気持ちになった。

「レイ子さん、お酒は、飲まれますか」

「はい。少しなら」

「私も、今日はお付き合いさせていただきます」

 そう言うと、亜紀は加山が好きだったオールドパーをグラスに注いだ。

「献杯」

 二人でグラスを合わせた。加山が亡くなったのは12月16日のことだった。

 独り身が長かったレイ子は、クリスマスイブを一人で過ごす辛さを知っていた。

「前回、お会いしてから、いろいろなことがあったわね」

 レイ子がしみじみと言った。加山が裁判の一審で有罪判決を言い渡された1983年以来、10年ぶりの再会だった。

 とりわけ亜紀にとっては、苦難の10年だった。加山派の子分たちによる裏切り、加山の病没、そして加山の娘との確執などがあり神経をすり減らしたに違いなかった。加山の娘の強い意向で、亜紀は通夜にも葬儀にも参列させてもらえなかった。亜紀は加山が倒れてから、一度も顔を見ることができなかったのだった。

 対照的に、レイ子は第二のピークと言ってもいいほど隆盛を極めていた。92年には宏池会の中で最も付き合いが長い宮澤喜一が竹下派の後押しを受けて総理の座に就いた。このトップ人事には彼女の意向が強く働いていた。

 財界や企業の経営者、主要官庁の幹部らがレイ子の事務所に日参するようになっていた。省庁で幹部人事があれば、新任の事務次官、局長らがそろって就任のあいさつにやって来た。企業から振り込まれる顧問料は年間十数億円に上り、子飼いの政治家が事務所に顔を見せれば、その度に数十万円から200万円を渡した。

 若いころレイ子が抱いていた承認欲求や、自分を馬鹿にしたり、騙したりした人間に対する復讐心や敵愾心はなくなっていた。それに、今後もし、新たな敵や、彼女を支配しようとする者が現れたとしても、それは加山や鬼頭紘太ほどの人物ではなさそうだった。

 一人息子の宏明も独り立ちしているので蓄財に励む必要はない。彼女は、「自分が死んで遺るものは、井戸と塀だけでいい。井戸塀政治家を地で行ってやろう」と思い、集まったカネは惜しまず再分配した。その私心のなさが、フィクサーとしてのレイ子に一種の迫力を与えていた。

 竹下派が分裂した煽りを受けて宮澤内閣が倒れると、次に政権を取ったのは細川護熙だった。細川内閣の陰の実力者は、レイ子から資金援助を受けている小沢一郎だ。小沢の父、小沢佐重喜は、レイ子の父である真木甚八や、レイ子が秘書として仕えた粕谷英雄が可愛がった政治家だった。一郎は27歳で初当選してから加山一筋だったが、レイ子は「若手の勉強会」と称して毎月、一郎を呼び、宏池会のプリンスといわれた加藤紘一などと食事をさせていた。若手の勉強会には、石原伸晃や、その年(93年)に初当選した宏池会の一年生議員、岸田文雄や塩崎恭久らにも声を掛けていた。

 小沢だけでなく、加藤、石原、岸田、塩崎も2世議員だ。レイ子は自分自身が叩き上げにもかかわらず、2世議員や官僚出身者など出自がはっきりした議員を傍に置く傾向があった。その議員に清潔感があり、眉目秀麗なら一層可愛がった。

 弟分の藤本久人は、小沢が自民党を離党して新生党を設立した際の結党メンバーに名を連ね、細川内閣では念願の大蔵大臣に就いていた。藤本は、加山派を解体すること、非自民勢力が結集する軸となる保守政党をつくること、という大業を成し遂げたのだった。

 つまり近年、レイ子と亜紀とでは明暗が分かれていた。

 そういったお互いの事情もあって、レイ子は自分から訪問したにもかかわらず、話題に困ってしまった。亜紀はそれを察したのか、別のほうへ話を振った。

「昔話になってしまうけど、レイ子さんは60年安保のあの夜はどこにいらしたんですか」

「私は、粕谷が副総理だったので、官邸にいました。粕谷から『院内で会議が終わったから迎えに来てくれ』と言われて、断ればいいのに意地になって迎えに行ったんです。デモ隊に囲まれた国会に黒塗りのクルマで入っていくなんて冷静に考えれば狂気の沙汰だった。クルマが包囲されてしまって、棒でガラスを叩かれて、殺されるかと思いました」

「それは危なかったですね。私は早々と撤退しました。当時、副幹事長だった加山は党本部に、私は議員会館にいました。彼から電話があって、『議員会館が焼き討ちされるかもしれないから、早く事務所を閉めて家に帰れ』と言われたんです。あのころは、議事堂も官邸も石造りなのに、議員会館だけ木造だったじゃないですか。だからデモ隊が放火するという噂が流れていたんです」

 二人は、建て替え前の古い議員会館の思い出話に花を咲かせた。

 2階建ての議員会館の前の草むらには気味の悪い蛇がいて、時ににょろにょろと顔を出すこともあった。会館の建物は田舎の木造校舎のようで、廊下を歩くと、床板がぎいぎいと鳴った。冷房はなく、夏はひどい暑さだった。亜紀は加山から「涼みに行こうか」と誘われ、会館を抜け出して映画館に行ったこともあったという。

「本当に、激動の時代をよく生きてきましたね。亜紀さんはここ10年、大変だったと思うけど、相変わらずお元気そうな姿を見られてよかったわ」

「加山からは、とにかく辛抱してくれ。苦労の償いはする。すべてが終わったら、お前を世界旅行に連れていくなんて言われてましたけど。結局ね……」

 そう言って亜紀は力なく笑った。

「でも、いいんです。意外に思われるかもしれませんが、私は誰かに食べさせてもらおうなんて考えたことがないんです。加山とも対等なパートナーとして付き合ってきたつもりです。加山が倒れたとき、私も力を落としましたが、いまこうやって独立して事務所をやっていけるのがうれしいんです。加山がいなくなっても、竹下さんや小沢さんは顔を出してくれるんですよ」

「イッちゃん(小沢一郎)は加山さんと金丸さんの悪いところばかり勉強しちゃったみたいだけど、案外義理堅いところもあるのね」

次ページで、いよいよ『小説・昭和の女帝』が完結。ライバルだった真木レイ子と小林亜紀が、戦後の日本政治の裏側と女たちの復讐劇を語りつくす。