新幹線の発達が
日本人の流れを変えた

 また、新幹線の発達も大きい。1964年には東海道新幹線が全線開通し、1975年には山陽新幹線が博多駅まで全通した。山陽新幹線の時間短縮効果は特に大きく、それまで大阪駅―博多駅間は特急「はと1号」で8時間26分かかっていたが、「ひかり」0系によって3時間44分で行けるようになった。

 東海道新幹線も併用すれば半日で博多から東京まで行くことができ、九州と東京の距離がグッと縮まった。「九州の東京志向化」は、このような交通事情の変化によってもたらされたのである。

 もちろん、理由はそれだけではない。1960年代から1970年代にかけて、エネルギー革命によって燃料の主流が石炭から石油へと移り、九州北部の炭鉱は次々と閉山していった。大阪においても、湾岸部を中心に重工業の停滞が明らかとなった。

 これとは反対に、メディアやITのような新しい産業は、首都であり情報が集まる東京に集中していった。このように人口を押し出すプッシュ要因と引きつけるプル要因が重なり、バブル期以降の人口移動は東京一極集中の様相を呈するようになった。

意外にも九州では
納豆の年間支出が高い

 方言周圏論においては関西を中心とした文化伝播が想定されていたが、現代においてはむしろ東京の影響力が拡大している。これに関して、興味深い事例を1つ紹介しよう。図1-14は、家計調査から各県庁所在地における納豆への年間支出を地図化したものである。

図1-14 納豆への年間支出(単位:円、世帯あたり)同書より転載 拡大画像表示

 納豆といえば、水戸や東北でよく食べられている印象がある。実際に、納豆への支出は東日本において大きい。反対に、関西人はあまり納豆を食べない。これもイメージどおりだ。ところが、同じ西日本でも九州は意外と納豆への支出額が大きく、特に熊本は東日本の諸県に引けをとらない。納豆消費の地域差も、関西から中四国を中心としたゆるやかな同心円パターンを示しているのである。