自分のための土産を買う
その私が最近、土産を買うようになった。どうした変化か、ある日突然、紙袋の口からはみ出すくらいに一杯土産を詰めて、恥ずかしげもなく持ち帰るようになったのである。
年の功か欲の皮がつっぱったか、はたまた一緒に暮らすつれあいができたせいに違いないと憶測してくださる方もあるのだが、さにあらず、袋の中身は他人への土産ではなく、これすべて、自分のための土産なのである。つれあいのために買ったものといえば、無類の蟹好きなので冬場の北陸、金沢の「こうばこ」蟹と、馬を蒐(あつ)めているのでインドで珍しい馬のフィギュアを買ったことくらいである。旅の方は一月のうち半分近くというのに、われながら薄情なものである。
毎回持ち帰るのはすべて自分のための土産ばかり、私は土産は他人のために買うものでなく、自分のために買うものだと思っている。
そもそも土産というものは、交通機関もなく歩いて命がけで旅をしていた頃、親しい人から餞別をもらって、心ばかりの匂いを持ち帰ったことなのだから、私のは土産とは呼べないかもしれない。その土地で気にいったものがあったら少々高くても、自分のためにムリして買ってやる、私へのささやかな贈り物なのだ。
「また来るからいいわ」をやめた理由
きっかけは、その土地土地の工芸品や古来の美しさを持つ品々に惹かれたことに始まる。小浜で見つけた若狭塗の升、黒地に螺鈿(らでん)で紋を散らした外塗りに朱の内塗り、これでお酒を飲んだらさぞおいしかろうと、飲んべえの私は、二つ買って帰る。一個三千円で私にとっては高いのだけれど、ままよ私のための土産だと言いきかせて買う。花瓶だとか飾りに使う物は買わない。日常生活の中で使えるものにちょっとぜいたくをしてみよう、つれあいと酒を酌みかわしながら、旅の風情にひたろうと思う。
昔は、どこへ出かけても、「また来るからいいわ」と見るだけでやめていたのだが、最近は下見もいきとどいて、どこにどんな趣のあるものがあるかがわかってきた。見るだけはやめにして、ほんとうに欲しいものは買うことにした。「また来るわ」と思っても、そうはなかなかゆかず、また次に訪れた時には、すっかり様子が変わって私の欲しいものがなくなっているか、べらぼうに高くなっていることが多い。
私の土産の買い方は、日常生活の中で使えるものと、その物の最も昔からあるデザインなり素材なりを見つけることだ。そのために、必ず造っている所を見にゆく。最近は現代風にアレンジしたものばかり増えて、ほんとうに素朴な美しさが少なくなってきた。







