作家・下重暁子Photo:JIJI

「プライバシーの保護」が重要視されている現代。過剰な自主規制によりテレビ画面にも違和感のあるモザイクが増え、もはや何がしたいのかわからない始末だ。そんな風潮に抱く違和感を、作家の下重暁子が鋭く指摘する。本稿は、下重暁子『怖い日本語』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を抜粋・編集したものです。

「プライバシーの侵害」が
初めて認知されたのは1960年代

 テロップといえばドラマ、映画でよくある、

「このドラマはフィクションです。実在の団体や人物とは関係がありません」

 というおなじみのアレは、プライバシーに配慮して、ということでしょうが、もともとは三島由紀夫の『宴のあと』の裁判がその発端として知られています。

『宴のあと』は小説=フィクションですが、登場人物の野口雄賢のモデルとなったのは、当時東京都知事選に出馬した有田八郎氏でした。彼の抗議によって裁判になり、東京地裁は有田氏の訴えた「プライバシー権」を初めて認めました。

 この裁判が注目されたことで、「プライバシーの侵害」という言葉は、流行語のようになりました。はじめてメディアとプライバシーということが社会的な問題になったのですね。

 裁判は被告となった三島が控訴しているなか、原告の有田氏が死去し、和解にはいたったのですが、連載していた中央公論は最終回に「実在の人物とまぎらわしい面がありご迷惑をかけたむきもあるようですが作品中の登場人物の行動、性格などは、すべてフィクションで、実在の人物とはなんら関係ありません」という注釈をいれたそうです。

 この裁判のあとから、テレビ番組の多くが「この物語はフィクションです」というテロップを入れるようになっていきます。

 地裁の判決は1964年(昭和39年)のことでした。そのころ「個人のプライバシー」、とくに著名人のプライバシーというものは、まったく守られていなかったと言ってもいいかもしれません。

選手名鑑には自宅の住所まで掲載!?
昭和時代のプライバシー事情に驚愕

 最近の若い人には信じられないでしょうが、政治家でも芸能人でもスポーツ選手でも住所、電話番号はすぐわかったものです。電話帳にも載っていたし、今も毎年出ている『プロ野球選手名鑑』(日刊スポーツ)は、1960年代は住所も載っていた。ファンにとってはファンレターの宛先として重要な情報だったのです。

 若い人はびっくりするでしょうが、当時はこれが普通で、なんの違和感もありませんでした。

 最近はマンションの住民名簿も住民全員に公開することがむずかしいし、学校の「連絡網」さえつくれないそうです。「LINEがあればじゅうぶん」ということなのかもしれませんが、時代は大きく変わったものです。