攻めたい時期に
あえてブレーキを踏まざるをえない

 第一例が、労務管理の健全性です。残業時間は適正か。未払いの残業代は残っていないか。勤怠はきちんと記録されているか。上場審査の過程で、こうした点がとても細かく、厳しく問われます。働く人を守るために、これ自体は当然の仕組みです。

 ただ、スタートアップ企業経営者が集まってホンネで語り合うと、「上場の入口で労働時間をきれいに整えようとするほど、会社は肝心の頑張りどころで踏み込めなくなるよね」といった共通の認識がよく話題になります。

 スタートアップが伸びるのは、新しいサービスを世に出し、それを軌道に乗せる、ほんの一瞬の勝負どころ。その局面では、社員が没頭する時期が必ず訪れます。ところが上場準備に入ると、「ここぞ」で人を働かせること自体がリスクになります。攻めたい時期に、あえてブレーキを踏まざるをえないのです。

 もちろん日本で経営する以上、労働基準法には従わなければなりません。残業代を払わない、勤怠を偽るなんてことは断じて許されません。私もそこを軽んじるつもりは一切ありありません。

 ただ、IPOの現場で経営を本当に縛っているのは、法律そのものというよりも、法律の上にもう1枚かぶさるようにある、「上場審査という慣習」であることを、訴えたいのです。

 労働基準法は、意外なほど現場に余地を残しています。労使で三六協定を結べば残業は原則で月45時間まで認められ、特別条項を付ければ、繁忙期には単月で100時間近くまで、年間で720時間まで法律上は可能です。つまり、臨時的で特別な場合には残業することも、想定して設計されているのです。

 ところが上場審査の慣習は、この余地をほとんど認めてくれません。特別条項を適用しているにしても、いわゆる45時間をこえている社員がひとりでもいる場合は、業務の効率化・人員補充だけでなく、システムでの強制PCシャットダウンまでも要求されることがあります。

 法律が許している幅さえ、上場のためには使えなくなる。その結果、季節変動などの稼働の波の忙しい状態に合わせて人員を計画する必要になり、暇な状態の際には不稼動な人員を抱えることになる――。こうした事態に悩む経営者は少なくありません。