円キャリー取引も円安を増幅した。これは、低金利の円で資金を調達し、金利の高いドルなどの通貨や資産で運用する取引だ。金利差が大きいほど利益を得やすいため、円売り・ドル買いが膨らむ。
ところが、22年秋から23年初めにかけては、アメリカのインフレ率が鈍化し、FRBが利上げのペースを落とすとの観測が広がると、円高に転じ23年1月には一時1ドル=127円台となった。さらに、日銀が22年12月に長期金利の許容変動幅を拡大し、金融緩和を修正するのではないかとの見方が強まったことも、円買いを促した。
しかし、その後は再び円安が進んだ。アメリカの金利が高い状態にとどまる一方、日本の金利が低かったためだ。
24年4月には1ドル=160円を超え、政府は4月29日と5月1日に、円買い介入を行った。それでも円安は止まらず、7月初めには円レートは161円台後半まで下落し、7月11日と12日にも介入が行われた。
日銀は24年7月31日、政策金利を引き上げた。これを契機に日米金利差が縮小するとの見方が強まり、円キャリー取引の巻き戻しも起きた。このため、円相場は急速に上昇した。
ただし、この円高は日銀の利上げだけで生じたのではない。政府の為替介入、アメリカの利下げ観測、世界的な株価下落、投資家のリスク回避などが重なった結果だ。その後も円高に戻る局面はあったが、円は再び下落基調となり、163円台まで下落する今に至っている。
コロナ後の約6年間を大づかみに見れば、1ドル=100円台前半から160円台まで、大幅な円安が進んだといえる。
潜在成長率や生産性の低下が根本要因
国内に高収益の投資先が育たず資本は海外へ
2022年以降の急激な円安をもたらした最大の直接的要因は、日米の金融政策の違いと金利差だった。しかし、金利差だけでは、なぜ円がこれほど長期間にわたって売られやすくなっているのかを、十分に説明できない。
根本的な原因は、日本経済の生産性や潜在成長率が低迷し、国内に高い収益を期待できる投資先が十分に育っていないからだ。
このため、日本企業や個人の資金が海外に向かいやすい一方で、企業買収や工場建設などの対内直接投資が、他の主要先進国と比べて少ない。また、デジタルサービスへの支払いや海外直接投資も、継続的な外貨需要を生んでいる。
こうした状況の下で、貿易・サービス収支や資本移動を通じた構造的な円売りが定着しているといってよい。
日本では、エネルギーや食料の輸入だけでなく、海外のデジタルサービスへの支払いも増えている。クラウドサービス、動画配信、インターネット広告、ソフトウエア、データ利用料などへの支払いにより発生する赤字は、しばしば「デジタル赤字」と呼ばれる。
こうしたサービスを利用するため、日本企業や消費者は外貨を支払う。その結果、円を売ってドルなどを買う需要が継続的に発生する。
また、新NISAを通じて、個人投資家が海外株式や海外投資信託を購入する場合にも、円売り・外貨買いが行われる。ただし、新NISAだけで円安全体を説明することはできない。企業による海外直接投資、機関投資家による外国証券投資など、より大規模な資金移動と併せて考える必要がある。
この構造の下では、日米金利差が拡大したときには円安が急速に進み、金利差が縮小しても円高が定着しにくくなる。
為替介入は、投機的な円安を抑えるためには必要な場合がある。また、日銀の利上げは日米金利差を縮小し、円安圧力を弱める。しかし、介入の効果は一時的であり、急激な利上げは、企業金融や住宅ローン、国債費などへの副作用がある。
政府は、「骨太方針2026」で、「責任ある積極財政元年」を掲げ、AI、半導体、エネルギー、防衛、医療などの成長分野に対して、複数年度にわたる投資を進める方針を示した。また、政府が民間投資を後押しする姿勢を明確にした。
このことは悪いことではないが、一方で財源や財政規律の具体的な説明が十分でなければ、国債発行額が増加し、将来の財政負担が重くなるのではないかとの懸念を市場に与える。国債利回りや円相場にも影響を及ぼしている。
せっかくの政策も円安を加速させるだけに終わるリスクがあることを認識する必要がある。円が長期的に売られやすい構造を変えるには、生産性を高め、国際的に競争力のある企業や産業を育て、実質賃金と期待収益率を引き上げる必要がある。そうした努力が円相場の安定につながる。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)







