「うわ、臭い!」
その後も、交通の不便さ、宿舎の不備、衛生面、スタッフの対応が遅いことなどに不満が止まらない。
「日本だったら、こんなことはないのに」「なんでこんなことさえ、ちゃんとできないのかしら」
悪気はなかったのかもしれない。だが、Aさんのひとこと、ひとことを、娘たちは聞き逃さずにそのままに受け取っていく。数日もすると、娘たちは身の回りで起きることに対して、親のように「色眼鏡」で見るようになってしまった。
「ここは、日本より劣った場所」「この国の人たちより、日本人のほうが優れている」
子どもは素直なので、いとも簡単にこうした感覚に陥る。
さらに空気を重くしたのが、「あなたたちのために、わざわざ来てあげたのに」というAさんの自己犠牲の口ぶりだった。滞在は、親が耐え忍ぶ苦行のようになり、家族の雰囲気は沈んでいった。
「せっかく高いお金を払って来たんだから英語を話しなさい」と、Aさんが娘たちに何度も何度もけしかけたのも災いした。もはやこんな状況では、娘たちも積極的に英語を学ぶ気持ちなどわかないというのに。
親は成果を測る監督、子は評価される対象という上下関係に固定されてしまった。「親子」で留学しているのにもかかわらず、結局は子どものみの教育プロジェクトになってしまったのである。
【成功例】
子どもが成長したきっかけは?
もう1組の母子、Bさんと9才のR君は、同じ不便や不満に、全く違う向き合い方をした。
Bさんも最初は、環境の違いに面食らった。ショッピングモールの前にライフル銃を持った警備員がいるような治安に怯えた。道端のネズミの死骸に顔をしかめた。過保護になり、飲食店では「この子には無理だから」と注文は全て自分がやっていた。
到着して数日後。語学学校と提携しているホテルで朝いちばんに「トイレが流れない」と伝えたのに、夜になってもスタッフが来ない。トイレが直らない。むすっとしているBさんに、R君が聞いた。







