Aさんと関係の深い人々は、「この飲み会のために空けられる日はすべて空ける」という方針で、○を主体に予定を書き込んだ。一方、追加で呼ばれた2名は、さして重要な会とも思っていなかったこともあり、自身の既存の予定を守り×を主体に入力した。

 結果、直近の2週間では全員の予定が合わず、期間を延長して再調整が行われた。結局、会が開催されたのは、本来開催すべき時期を過ぎた、4、5週間経ったあとのことだった。

 不憫なのは、主役であるAさん自身は、すべての日程に○をつけていたことである。

 全員の都合を民主的に合わせられるのが「調整さん」の利点だ。しかし、本来の幹事の役割には、時期やメンバーの優先順位を踏まえた配慮も含まれていた。

 このケースでも主役が空いているなら、多少人数が欠けても早い時期にやるといった判断も必要だったはずだ。ただ、参加者全員に回答状況が可視化されている以上、誰かを外して決行しようとは言い出しにくくなってしまう。

「調整さん」に頼ることの弊害は、結局ここにある。人は互いの状況を察し合い、どちらかが譲ったり、あえて相手のために無理をして時間を作ったりすることで関係性を築いているのだ。

 そうした「貸し借り」の感情を抜きにして予定を決定できるのはツールのよさだが、あまりに機械的で公平なすり合わせに頼りすぎると、かえって互いの関係性は希薄になってしまう。親しい友人同士であれば特に安易に「調整さん」に丸投げするのは、少し考えものということが言えるかもしれない。

電話の普及でアポなし訪問は
マナー違反になった

 時間を細かく管理するテクノロジーの起源は、スマホの登場よりもはるか昔、電話の普及と関係している。

 電話が普及する以前、人々の時間に関する感覚はもっと大らかで、行動自体ももっと行き当たりばったりなものだった。相手が在宅かどうかもわからずに家を訪ね、不在であれば待ち、あるいは出直す。明治や大正時代の大きな家に入り口脇の応接間があり、玄関先で対応する書生がいたのは、いつ誰が訪ねてくるかわからないことが前提だったからだ。