大木:ソ連は、日本にとっては一応中立国でしたが、情報戦となると事実上の敵国だった。クーリエに出された金子昌雄陸軍中佐もシベリア鉄道の車内で怪死した。おそらく、毒殺だろうと推測されています。
そういう状況で、瀬島が無事に帰ってきた。これはソ連側にも何らかの理由で、彼を日本に戻す必要があったとも考えられますかね。
戸高:この時にソ連との個人的な密約も交わしたかもしれませんしね。当時の瀬島であれば、戦争の先行きについては見通していたでしょうから。
保阪:ソ連崩壊後にモスクワに行った時に、ロシア側から「伊藤忠が資料を見たいと言ってきた」と聞きました。これを聞いて瀬島の仕業だとピンときました。自分の過去の隠蔽のために、ここまでやるのかと思ったものです。伊藤忠の人を使って、自分の資料をかき集めて葬るつもりだったのでしょう。自分にとってまずい資料が出てこないかと警戒していた。
「一生面倒見るよ」と瀬島は
取材者に持ちかけた
保阪:「文藝春秋」で瀬島のインタビューが終わったときに、瀬島が文春の人たちに「君たち、ちょっと出ていてくれ」と言った。そこで、瀬島と私は2人きりになったわけです。すると、「保阪君はよく勉強している」と言ってきました。たしかに瀬島を驚かすようなアメリカからの資料も持って行って、臆することなく聞きましたからね。
実は最後に、「一生面倒見るよ」と言われました。キャピトル東急ホテルに瀬島の事務所のような部屋があった。そこで取材をしていたのです。「ここにいくらでも出入りしていい。私のところには、いろんな情報が集まるから、君はそれを使ってものを書いたらいいと思う。ここの職員みたくなればいいや」とまで言われました。
大木:すべて暴かれると思って買収にかかったのですか。いやはや……。
保阪:私はね、「申し訳ありません」と言って、はっきり断りました。私はそういうことと引き換えにあなたの追及をやめるつもりはないとも言いました。それから、「今の2人きりでの話も申し訳ないけど、文春にすべて話しますよ、でないとあなたと何かの取引をしたと思われるから」と言って別れました。
帰る時に、文春の編集部にはすべて話しました。「こういうこともやるわけだな」と思った。抱き込みですよね。経済的に金を出して配下にする、古典的な手法です。
『虚構の昭和史 海軍善玉論、石原莞爾名将論の陥穽』(保阪正康、戸高一成、大木 毅、角川新書)
戸高:痛いところを攻められて疲れていたのでしょうか。生活状況を握ったり、弱みをつかんだりしてから押さえ込みにかかる余裕がなかったのでしょうね。
保阪:そういうことを言ったら、かえってまずいこともあるということが分らないぐらい、それまでは、瀬島の言うことを聞かない人はいなかったのでしょう。
大木:東京裁判でソ連側の証人になった事実1つを取っても、瀬島の発言や文章を額面通りに受け取ることは難しい。ソ連側の証人として連れてこられた3人のうち、1人は証言台に立つ前に自殺しています。そういうことも負い目となって、過去を隠そうとしたのかもしれませんが。
また、陸軍将校、軍事官僚特有の減点主義がしみついていて、ちょっとしたマイナスでも知られたくない、認めたくない気持もあったのではないでしょうか。







