保阪正康(以下、保阪):半藤さんは第一委員会、特に石川信吾(注1)について調べていたようです。

 第一委員会というのは、海軍が「国家総力戦」の準備をするために、軍令部と海軍省の課長級スタッフを集めて組織した特別なチームです。非公式の組織横断的タスクフォースでしたが、非常に閉鎖的な性格を持ったチームでした。政策決定の正式機関ではなく、権限は曖昧でしたが、実際には海軍の開戦方針を強く方向付ける役割を果たしたと言われています。

良識派とされた高木惣吉は
主戦派の委員会にいた

大木:半藤一利さんは戦後、昭和28(1953)年に文藝春秋新社に入社してから、大海軍記者で知られた伊藤正徳に師事していました。かたちとしては担当編集者というものの、事実上の助手で、伊藤さんの指示によって多数の旧軍人にインタビューしたそうです。

 その際、特に知恵を借りていたのが海軍少将だった高木惣吉(注2)で、いろいろ海軍省部の話を聞いていたようです。

保阪:高木惣吉は、戦局が悪化した頃から名前が出て来る人ですね。聖戦貫徹を曲げない東條英機首相の暗殺計画を立案したことは有名です。決行直前に東條内閣が瓦解し、未遂に終わりました。

 その後は、米内光政(注3)や井上成美(注4)の密命を受けて終戦工作に従事しました。各方面と連携をとりながら終戦への基盤づくりを行ったとされていて、戦後は良識派の軍人というイメージが濃い人です。

(注1)1894~1964年。海軍少将。海兵42期。海軍省軍務局第二課長、第23航空戦隊司令官、大本営戦力補給部長など。著書『真珠湾までの経緯』(中公文庫、2019年)。

(注2)1893~1979年。海軍少将。海兵43期。海軍省調査課長、舞鶴鎮守府参謀長、海軍省教育局長、海軍大学校研究部員など。戦後、東久邇宮内閣の内閣副書記官長。著書『自伝的日本海軍始末記』(光人社、1986年)など。

(注3)1880~1948年。海軍大将。海兵29期。横須賀鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、海軍大臣、首相など。

(注4)1889~1975年。海軍大将。海兵37期。海軍省軍務局長、支那方面艦隊参謀長、海軍航空本部長、第四艦隊司令長官、海軍兵学校長、海軍次官など。