なるか造船復活 嵐の出航#10香田洋二・元海上自衛隊自衛艦隊司令官インタビューPhoto by Shintaro Iguchi

造船業復活の機運が高まったきっかけは、艦艇の建造能力が落ちた米国から協力を求められたことだった。米国内に投資した韓国の造船会社と違い、現地での建造に軸足を移す余裕がない日本の造船会社には何ができるのだろうか。特集『なるか造船復活 嵐の出航』の#10では、元海上自衛隊自衛艦隊司令官の香田洋二氏に日米の造船業や艦艇建造の課題を聞いた。(ダイヤモンド編集部 井口慎太郎)

軍事費の削減で日米の艦艇建造が低調に
艦艇造船所は一度縮小すると再興は容易ではない

――国内で造船業再生の機運が高まったのは、米トランプ政権との関税交渉の中で、協力を求められたことがきっかけでした。米国において、艦艇建造能力が衰えたことが背景にあります。しかし、その後、日本政府が主導した造船再建の議論は、艦艇ではなく、商船の建造量を増やすことが中心になっています。そもそも艦艇と商船にシナジーはあるのですか。

 艦艇と商船は全く違う船です。8000トン級のイージス護衛艦は、30万トン級タンカーよりはるかに小さいのに、約4倍の出力のエンジンを積みます。速力が違うからです。乗組員も護衛艦は300人程度、タンカーは40人を切り、10人ほどの場合もあります。

 商船は船倉を大きくし、少ない燃料で一定速度を保って荷物を運ぶ船です。一方、艦艇は速力、強度、被害時の存続性が問われ、船型も内部構造も違います。電線も、艦艇は武器やコンピューター用に大量に用います。一方、商船(で電線が使われるの)は艦橋、航海機器、エンジン周りのみが中心です。

――日本の艦艇の建造体制はどう変わってきたのですか。

 冷戦後は各国が「平和の配当」と称して軍事費を削減し、民需へ振り向けました。日本も2000年代の小泉政権の頃から合理化を進め、防衛費を増やさなくなりました。一方でデジタル化により武器は高くなりました。1980年代には5年間で15隻ほど護衛艦を造っていたのが、5隻程度まで減りました。

 かつては三菱重工業、旧三井造船、旧日立造船、IHI、住友重機械工業の5社で分担し、防衛産業の基盤を維持していました。ところが艦艇は建造に5年ほどかかるので、年1隻を各社で奪い合うようになると、受注できない会社は5年仕事がない。商船は中韓との国際競争に苦しむ一方、艦艇は国際競争こそないものの、そもそも発注が減りました。艦艇を建造していた各社は発注量に合わせて設備を手放さざるを得なくなりました。

――米海軍の艦艇建造能力の低下が深刻なのはなぜですか。

次ページでは、香田氏が米海軍の艦艇建造・修繕能力の凋落について解説する。台湾有事を見据えた際、同盟国である日本の造船所は米艦艇の修繕拠点となり得るのか。さらに、北極海を巡る安全保障環境の変化を踏まえ、米国が求める砕氷船の技術についても語ってもらった。