保阪正康(以下、保阪):陸軍が政治に足を突っ込んで傍若無人に振る舞っているのを、海軍が諫められなかった理由がよく分かる話です。陸軍の方でも、伝統的に海軍を黙らせる術は心得ていたのでしょう。海軍にとって陸軍は、まともに対峙して争うのは嫌な相手だったということですね。
開戦に至った経緯ですら
陸海の見解を統一できない
大木毅(以下、大木):だから、戦史の上でも、陸軍と海軍ではかなりの見解の相違が出てくる。それを反映して、日本の公刊戦史である「戦史叢書(注2)」にも、「大東亜戦争開戦経緯」の部分は、陸海軍別々に2種類あることになりました。
そうなったのには経緯があって、まず陸軍側が書いた「大東亜戦争開戦経緯」の原稿ができてきたわけですね。当初は「開戦経緯」については、これだけで済ませるつもりだった。ところが、それを読んだ海軍側が、自分たちの言い分はどうなるんだと異議を申し立てて、海軍篇も出すことになったのです。
そもそも、戦史叢書の編纂にあたっていた戦史部を指導していたのは、元陸軍参謀、それも作戦畑の人たちなので、戦争中に大本営海軍部にいたような士官にとっては、敢えていうなら「仇敵」ですよね。実に戦後になっても、陸海軍の抗争が続いたわけです。
戸高:戦後、陸海軍の抗争の一番明らかな象徴が、「戦史叢書」の2種類の「開戦経緯」と言っていいでしょう。「開戦経緯」のない公刊戦史はあり得ませんから、「戦史叢書」を無事に完結させるための苦肉の対策だったのでしょうが、恰好を気にしていたらモノができなかった。戦後においても陸海軍はとうとう折り合えなかったということです。
保阪:公刊戦史に「開戦経緯」が2つあること自体が、太平洋戦争の敗因のような気もしますね。国や軍全体としての統一見解がないことを、事実として残したことになります。
「戦史叢書」が研究者や戦史ファンにあまり読まれないのは、量が膨大なことはあるにしても、そういう一本の筋がないからではないでしょうか。
(注2)防衛庁防衛研修所戦史室(現・防衛研究所)が編纂した、太平洋戦争史研究の基礎資料となる全102巻の公刊戦史。陸海軍の作戦とその実施過程を、膨大な一次資料に基づき詳細に記録。刊行は朝雲新聞社。







