戦史部に合流しても
陸軍に取り込まれてしまうだけ
大木:「戦史叢書には『開戦経緯』が2つあるのはどういうことですか」と、よく若い人に聞かれます。同じことを、陸軍と海軍がそれぞれの立場から書いているわけで、奇異に感じられるのでしょう。
先ほど少し触れたように、「戦史叢書」編集を担当した部局である防衛庁戦史室、あるいは戦史部は、元が陸軍系統なのです。参謀本部作戦課長を務めた服部卓四郎(注3)系統の人々が責任者でした。これに対して、元海軍系統の人たちは、史料調査会を別に作り、残った海軍の文書の管理や研究をそこでしていましたね。
戸高:史料調査会には戦後、第二復員省(編集部注/海軍省を改組して、1945年12月に設置された、海軍軍人の復員等を主管する中央省庁の1つ)にいた人たちが多く集まっていました。奥宮正武(編集部注/1909~2007年。海軍軍人、航空自衛官。最終階級は海軍中佐)さんや千早正隆(編集部注/1910~2005年。海軍軍人、最終階級は海軍中佐。戦史作家)さんもいました。
奥宮さんに「史料調査会には海軍関係者が固まっていますが、戦史部を作る時にどうして合流しなかったのですか」と聞いたら、たった一言、「あいつらは陸軍だからだ」と言われましたよ。最初から一緒にやる気などない、と言わんばかりでした。
海軍側が戦史部に合流したら、また押し相撲で負けて飲み込まれるだけだという恐怖感から、合流を拒否したということでしょう。
「戦史叢書」での発言力は
陸軍7に対して海軍は3
大木:全102巻という膨大な「戦史叢書」を発刊し終わったことで、そういう人たちもついに仕事を終えた。本当に、戦史室の初期のスタッフを見ると、これは参謀本部作戦課の影響が強かっただろうと思います。
(注3)1901~1960年。陸軍大佐。陸士34期。関東軍参謀、参謀本部作戦課長など。ノモンハン事件や対米英戦争の作戦指導に当たる。戦後、第一復員局史実調査部長、GHQ歴史課勤務など。著書『大東亜戦争全史』(原書房、1965年)。







