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「物価は上がらない」――長く日本の家計と企業を縛ってきたゼロ%の予想は、相次ぐ値上げを経て、ついに崩れた。だが、その次に日銀が掲げる「2%」が新たな基準として根付いたわけではない。実際、家計のインフレ予想のピークは、イラン戦争を挟むわずか2カ月で1.3ポイントも上昇した。外的ショックのたびに予想が大きく揺れるのは、日本が「アンカーの空白期」にある証左ではないか。連載『物価の教室』の本稿では、2012年以降の家計データを基に、ゼロ%アンカーが異次元緩和でも残り続けた理由、その消失後も2%へ移れない背景、物価と円相場を不安定にするリスク、そして日銀に欠ける政策のトラックレコードを読み解く。(東京大学大学院経済学研究科名誉教授 渡辺 努)
ノミナルアンカーとは何か
貨幣価値を安定させる「基準」の役割
貨幣は、それ自体に実用的な価値があるわけではない。そのため、貨幣価値を安定させるには、何らかの基準に結びつける仕組みが必要になる。
これが「ノミナルアンカー」である。
かつての金本位制では、貨幣と金の交換比率を固定することで貨幣価値を安定させた。第2次世界大戦後のブレトンウッズ体制も、ドルと金、さらにドルと他通貨の交換比率を固定する仕組みだった。
その後、変動相場制への移行と1970年代の高インフレを経て、多くの国で新たなノミナルアンカーとして採用されたのが、インフレターゲティングである。中央銀行が2%といったインフレ目標を掲げ、インフレ率が目標を上回れば金融を引き締め、下回れば緩和する。これにより、人々は「インフレ率は最終的に目標値へ戻る」と信じるようになり、その信認がインフレ率の安定をもたらす。
日本が2%の物価安定目標を導入したのは比較的最近で、2013年1月のことである。
では、それ以前の日本にはノミナルアンカーが存在しなかったのか。おそらくそうではない。







