『ブティック』著者・池井戸潤さん『ブティック』著者の池井戸潤さん。実はAIを使いこなしているという池井戸さんに、AIの凄みと限界について聞きました。 Photo by Yoshihisa Wada

AIの急激な進化は「作家の仕事」をどう変えるのか。新刊『ブティック』を刊行した池井戸潤さんは、ChatGPTとClaudeという二つのAIサービスを使いこなし、実際にAIに「池井戸潤風」の小説をオーダーしてみたこともあるという。創作の現場で感じたAIの凄みと限界とは。人気作家が考える「AI時代の働き方」や会社組織の未来について聞いた。(ダイヤモンド社メディア編集局論説委員 浅島亮子)

AIサービスを使いこなす
作家にとって画期的なこと

――AIが、働くことや働き方の概念そのものを変えようとしています。作家の仕事には、AIはどのような影響を与えるのでしょうか。AIを使って書いた作品が増えた、文学賞への応募が急増しているというニュースもありました。

池井戸 AIを使って作品を書く人が増えているようですが、僕自身はそれをやる気はないんです。

 それでも、AIに「池井戸潤風に小説を書いてみてください」と指示を出したことがあります。というのも、AIの方からそのように勧めてきたので(笑)…。それで出てきた“小説のようなもの”を読んでみたところ、まだ未熟な文章だったので、少しホッとしています。

――AIも池井戸さんご本人に試されているとは思わなかったでしょうね(笑)。どんなところに、「まだまだだな」と感じましたか。

池井戸 文章が下手といいますか、不自然さが残っているといいますか…。読み進めていくときのドライブ感がないんです。作家は、言葉の選び方や間の取り方などで、文章にリズムをつけながら書いていくわけですが、そうした“肝になる部分”を、AIはまだ分かっていないように感じます。

 もちろん、膨大なデータを収集し、学習していますから、それなりの文章は書いてきます。ただ、作家固有のリズムや文体を学び尽くす域には、まだ達していないと思います。

――池井戸さんは、一度書き上げた原稿を何度も推敲するそうですね。文章を上手に書くコツはありますか。

 シンプルに書くことです。小説の世界では、「雨が降ったら、雨が降ったと書け」という言葉があります。余計な尾ひれはつけずに書くことが、基本中の基本です。

 推敲では、構成上いらないものや重複しているところを削ります。「ここは最短距離を行っていないな」と思えば、1ページ、2ページと丸ごと落とすこともある。5回くらいは推敲していますね。

 いくら時間をかけた原稿でも、良くないと思ったら容赦なく削る。「もったいないから残そう」と思ったら、そこから全体が崩れていってしまいます。

――そうした地道な作業の積み重ねによって、池井戸さん独自のリズムが生まれるんですね。今のAIにはまだ難しい作業なのでしょうか。

池井戸 そうですね。ただ、AIは進化のスピードが速い。2、3年もすれば、「うまいな」と思うレベルになるかもしれません。例えば、『ブティック』をAIに読み込ませて、「続編を書いて」と指示する。「こういう事例を入れて、こんな話にしてくれ」と頼めば、それらしいものを出してくることは、いずれできるかもしれません。

 でも、そうなったときには、作家の仕事も「書くこと」から少しポジションを変えて、AIに指示をする側、アイデアを出す側になっているかもしれません。

――池井戸さんの創作活動には、すでにAIがかなり役立っているそうですね。

池井戸 僕は、オープンAIの「ChatGPT」とアンソロピックの「Claude」をよく使っています。以前に比べて間違いも減りましたし、自信のないところは「分かりません」と答えるようになりましたよね。

 用途は、ほとんどが調べ物です。これはもう、凄まじい時間短縮になりました。

 例えば、「1946年に上野から荒木町まで行くには、どうやって行けばいいですか」と聞く。これをGoogle検索で調べようとしたら、いったい何回検索しなければならなかったのだろうと思います。でもAIなら、一度聞けばかなりのところまで分かる。当時は何時ごろまで電車が走っていたのか、といったことまで調べられます。

 以前なら、法律関係などの専門知識を得るために、弁護士や税理士と食事をしたり、電話で話を聞いたりすることも多かったです。もちろん、今でも専門家によるファクトチェックが必要なことはありますが、そこに至るまでの調べ物の時間は劇的に短くなりました。作家にとっては画期的なことです。

 小説はフィクションですから、現実には起こらないことが入っていてもいい。ただ僕は、「100%あり得ないこと」は描きたくないと思っています。だからこそ、物語の土台となる事実や時代背景を調べることは大切ですし、その点でAIは非常に役に立っています。月に10万円払ったとしても安いのではないかと思うくらいです。

ChatGPTとClaudeを使いこなす
作家にとって画期的なAI活用法

――『ブティック』は『俺たちの箱根駅伝』(文藝春秋)以来、2年ぶりの新刊でした(最新刊は『ハヤブサ消防団 森へつづく道』〈集英社〉)。『俺たちの箱根駅伝』を書いていた頃と比べても、AIは急速に進化しています。AIがさらに普及すれば、会社という「組織」に属して働くことの意味も変わってくるのではないでしょうか。

池井戸 当然、そういう世界になると思います。

 実際に、「なぜこの人がこんなに多くの給料を貰えているのだろう」と思うような人もいますよね。一流と呼ばれる大学を卒業して、大企業に入る。最初は優秀だったのかもしれませんが、同じ組織に20年も30年もいるうちに、その組織のカルチャーに染まってしまう。マニュアル通りにしか動けなくなり、その組織の中でしか通用しない“ダメ人間”が出来上がるわけです。

 僕の同級生も、そろそろ定年を迎える年代です。ただ、ロストジェネレーション世代の採用を絞ってきた企業などでは、その下の世代が足りない。だから65歳を過ぎても、人手が足りずに同じ会社に残り続けるようなケースも出てきています。

 銀行をはじめ、いわゆるJTC(ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー)には、そういうところがありますよね。長く組織にいると、“ダメさ”が進化してしまう。

 例えば、銀行員がやっている与信判断や投資信託のアドバイザリー業務なども、AIに任せた方がいいかもしれませんよね。税理士や弁護士などのサムライ業でも、AIに置き換わる業務は多いでしょう。

――『ブティック』でも、組織に属して働く人と、そこから飛び出して自分の力で道を切り開こうとする人が描かれます。AI時代には、個性やアイデアを持つ人ほど、会社という「器」に頼らずに仕事ができるようになる。その半面、大企業のホワイトカラーを中心に、AIに置き換えられる仕事も増える。会社という組織や「働く」という概念そのものが変わるのでしょうか。

池井戸 AIがさらに進化した未来に、働き方がどうなるのかについては、ダイヤモンド編集部で考えて欲しいと思いますが(笑)。

 例えば、会社がAIを駆使してコストを抑え、収益を増やしていくとする。一方で、会社の中には、それほど高い付加価値を生み出していない社員もいる。それでも、日本は簡単に社員のクビを切れる社会ではないでしょう。

 そうなると、AIによって生み出された収益を、そうした社員にも分配していくことになるかもしれません。企業という組織が、ある意味で富を分配する役割を担うことになるわけです。

池井戸潤さんいけいど・じゅん/1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。98年『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。2010年『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、11年『下町ロケット』で直木賞、23年『ハヤブサ消防団』で柴田錬三郎賞を受賞。主な作品に「半沢直樹」シリーズ(『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』『ロスジェネの逆襲』『銀翼のイカロス』『アルルカンと道化師』)、「下町ロケット」シリーズ(『下町ロケット』『ガウディ計画』『ゴースト』『ヤタガラス』)、『シャイロックの子供たち』『空飛ぶタイヤ』『民王』『七つの会議』『陸王』『ルーズヴェルト・ゲーム』『ノーサイド・ゲーム』『花咲舞が黙ってない』『アキラとあきら』『BT’63』『ハヤブサ消防団』『俺たちの箱根駅伝』がある。26年には、『ブティック』と『ハヤブサ消防団 森へつづく道』の2作の新刊が発売中。 Photo by Y.W.

――さらにその先には、人間がAIを使うだけではなく、AIそのものが組織の「司令塔」になる可能性もあります。

池井戸 現在地としては、まだそこには行っていないと思います。それに、本当にAIが多くの仕事を代替するようになれば、失業者が溢れかえるわけじゃないですか。そうなれば社会的な問題に発展します。

 例えば、「AIを使えるのはここまで」とか、「こういう用途に限る」といったルールを設けることはあり得ると思います。

 突き詰めれば、人間には働いて生きていくという根源的な権利があるわけです。AIが便利だからといって、できることを全てAIにやらせていいのか。人間から働く機会そのものを奪うことになるのであれば、社会として一定の制限を設けるといった議論が出てくるのではないでしょうか。

――では、AI時代に人間が手放してはいけないものは何でしょう。

池井戸 「どうする?」という決定までAIに聞くようになったら、終わりだと思います。それは作家がAIに小説のタイトルまで決めてもらうようなもので、そこまでやらせてしまったらいけませんよね。

 AIを相手に「これ、どう思う?」と壁打ちしているうちはいい。でも、最後に何をするのかを決めるところまでAIに渡してはいけない。AIというのも、結局は使いようだと思います。