そもそも孤独の
何が悪いのか

 そもそも孤独は悪いことなのか、という問いを立てたい。

『孤独のグルメ』という漫画が原作のドラマがある。井之頭五郎という中年男性が、一人で食事をする。それだけの話だ。しかし、これが面白い。五郎は一人で店に入り、メニューを吟味し、料理を味わい、心の中で感想を述べる。周りに迷惑もかけないが、基本、誰にも気を遣わない。誰の顔色も窺わない。自分のペースで、自分の好きなものを、自分の好きなように食べる。その自由さが心地よい。

 孤独は、悪いことではない。むしろ快適だ。人と一緒にいると気を遣う。相手の話を聞かなければならない。相手の機嫌を損ねないようにしなければならない。自分の食べたいものではなく、相手に合わせてメニューを選ばなければならない。それは疲れる。一人でいれば、そういう気遣いから解放される。「嫁」は気を遣わなくていい存在だなんて思っている人がいたとしたら、極端な悪人か愚者かその両方だ。

「人と人とのつながりが大事」とよく言われる。孤独は良くない、人間は社会的な動物だ、だから人とつながらなければならない、と。しかし、これもまた一種の因習ではないだろうか。

 つながりを強制するのは、孤独を選ぶ自由を奪うことだ。つながりたい人はつながればいい。

 つながりたくない人はつながらなくていい。それだけのことだ。

 孤独死が「問題」とされるのは、なぜだろうか。一人で死ぬことの何が悪いのか。

 確かに、死後長期間発見されないことは問題だ。遺体の状態が悪くなり、近隣に迷惑をかけることもある。遺品整理や原状回復に費用がかかる。しかし、それは「孤独に死ぬこと」の問題ではなく、「発見が遅れること」の問題だ。一人で死んでも、すぐに発見されれば、いわゆる「孤独死」の問題は生じない。

 私自身は、死ぬときに誰かにそばにいてほしいとはあまり思わない。むしろ、一人で静かに死にたい。死ぬ瞬間を誰かに見られるのは、気恥ずかしい気もする。苦痛なく(これが難しいけれども)、好きな本でも読みながら寝落ちのように死にたい。これは私だけではないだろう。家族に看取られて死ぬのが理想だという人もいるだろうが、それは価値観の問題であって、絶対的な正解ではない。