ミソジニーと言うと、女性を憎んでいる声の大きな男の人を想像するかもしれない。しかし、制度的なミソジニーはもっと静かだ。女性が改姓するのは「当たり前」。女性が家事をするのは「自然」。女性が子どもを産むのは「義務」。そういった「当たり前」の積み重ねが、女性の選択肢を狭めている。誰も悪意を持っていなくても、結果として女性は不利な立場に置かれる。

今の日本には
選択肢が足りない

 孤独死が怖いから結婚する、というのは、理由として弱い。結婚しても孤独死はする。そして、孤独死の本当の問題は「発見が遅れること」だけだ。それは個人の人間関係に頼るのではなく、いずれは国レベルの制度で解決されるべきだ。結婚を勧めるのは筋違いである。結婚したくないなら、しなくていい。孤独死が怖いなら、別の対策を考えればいい。結婚は、孤独死の特効薬ではないのだから。

『生まれたくなんかなかったのに』書影生まれたくなんかなかったのに』(小島和男、幻冬舎)

 われわれは社会の中で活動していれば(ちなみに部屋に引きこもってずっとパソコンに向かっていたって社会の中で活動していることになります)、終活などをすれば特に、さまざまな人と出会い、さまざまな生き方を知る。結婚している人もいれば、していない人もいる。子どもがいる人もいれば、いない人もいる。

 それぞれの人生があり、それぞれの終わり方がある。大事なのは、自分で選ぶことだ。誰かに言われたから結婚する、孤独死が怖いから結婚する、ではなく。

 自分の人生を自分で選ぶ。そのために必要なのは、選択肢があることだ。結婚してもいいし、しなくてもいい。子どもを産んでもいいし、産まなくてもいい。姓を変えてもいいし、変えなくてもいい。

 その選択肢が、今の日本には足りない。だから、結婚はないほうが良い、と私は言う。少なくとも、選択肢が増えるまでは。