The Legend Interview不朽
 今回は、日本専売公社の民営化によって1985年に発足した日本たばこ産業(JT)の第2代社長・水野繁(1929年9月16日~2014年9月17日)へのインタビューである。掲載されたのは「週刊ダイヤモンド」1993年1月30日号。バブル崩壊後の景気後退でリストラや合理化が経営課題として注目され始めた時期に当たる。

 水野は大蔵省出身で、83年から85年まで国税庁長官を務めた後、86年にJT顧問、87年に副社長を経て88年6月に社長へ就任した人物である。日本専売公社の民営化は、電電公社(現NTT、85年)・国鉄(現JR各社、87年)と並ぶいわゆる「三公社民営化」の一環であり、単年度予算・国会承認を要する公社体制の硬直性に加え、対米貿易摩擦を背景としたたばこ市場開放圧力が主因だった。

 85年の民営化とほぼ同時に輸入関税も引き下げられ、外国製たばこがなだれ込む。そのシェアは91年度に16.5%まで上昇し、国産たばこも1本1円の増税による値上げを迫られるなど、JTは自由化のただ中で厳しい競争にさらされていた。

 インタビュー中で水野は、社長就任の第一声として「わが社の営業は営業ではない」というメッセージを発したと明かす。まさに旧公社体質からの脱却を象徴するエピソードだ。社員数は3万5300人から2万4100人へ、葉タバコ農家も6割が離農するなど、合理化は苛烈を極めた。国税庁長官という官僚出身トップの起用は、当時「天下り」色の強い人事とも見られたが、水野はイエス・オア・ノーを明確にする、広報は実力以上も以下も語らないといった独自の経営哲学を掲げ、組織にゆとりを残しつつ無駄は許さないという、いわば「攻めと守り」を使い分ける手法で改革を進めた。

 なお、インタビューの焦点の一つでもある株式公開は、水野の退任(94年6月)後の94年10月に実現し、政府保有株式の売却はその後96年、2004年と段階を追って進められた。旧公社が競争にさらされながら「本物の民間会社」へと脱皮していく過渡期の空気を伝える記事といえる。また、本人はインタビュー中もたばこを吸いながら応じているようである。当時はまだ健康被害を理由とした喫煙規制強化の機運も今日ほど強くなく、記事の関心はもっぱら競争と経営効率にあった点も時代の流れを感じさせる。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

イエス・オア・ノーを
はっきりしろ

 水野氏が元国税庁長官であったことはつとに有名である。そのことについて、まず尋ねると、水野氏は謙遜しながらこう言った。

「1960年に税務署長をやりましたが、その後の23年間、税金のぜの字もやってなかった。それなのにやってくれというんだから、ひどい話だったですよ。当時の次官は松下さん(康雄・現さくら銀行会長)だったけれど『いいじゃない、税金のこと知っているなんてちっとも思ってないよ。知ってるやつを使えばいいんだ』と、いうわけです。

 そこで、私は、就任して、職員たちにこう言った。税金に詳しいのは国税の職員と税理士と脱税をしようと思っている人間だけだ。後の人間は年に1度、いやいやながら税金のことを思い出すくらいなんだから、申告に来てくれた人をできるだけ大事にしろ。書類が間違っていても、『間違ってますね』なんて言わずに、『いや、私たちもよく間違えやすいものだから』と言って直せ、と」

「週刊ダイヤモンド」1993年1月30日号「週刊ダイヤモンド」1993年1月30日号

 そんな水野氏が元公社とはいえ、民間企業に入ったわけである。

「会社になって、公社と違う点は、第一に、イエス・オア・ノーをはっきりしなければならないということ。

 いろいろな人にお目にかかって謙虚に教えてもらい、何か提案があった場合、ポケットにしまい込んで情報としてもらいっ放しでは絶対にいけない。その場で言えないのならば、何日か余裕を下さい、と言う。その解答がイエスでもノーでも、約束した期日は必ず守る。

 これは、言葉で言うのは簡単なんですが、本当は、権限委譲の問題が全部含まれている。どこの段階において、どうやってイエス・オア・ノーを決めるか、ということです」