歌舞伎「外郎売」に見る
昔の住所の驚くべき“ゆるさ”

 さて、あらためてこの「各人の生活の本拠をその者の住所とする」という住所の定義は、住所表記の方法やその変遷に大きく関わってくる大事な考え方です。というのも、「各人の生活の本拠をその者の住所とする」のであれば、その表記はそれぞれの人がどこに住んでいるかを特定さえできればそれで済んでしまうからです。

 たとえば歌舞伎「外郎売(ういろううり)」の冒頭、自分の親方について語っている部分にはこうあります。

 拙者親方と申すはお立会の中に御存じのお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪致して円斎と名乗りまする。

 江戸から京都方面へ(東海道を)20里ほど、相模国小田原の一色町、青物町と過ぎて、欄干橋町に店を構える虎屋藤右衛門が私の親方だ、という内容です。つまり欄干橋町に行けば分かる、という程度の緩い指示なんですね。でもそれで十分に辿り着けたということです。

 また、東北大学東北アジア研究センター・上廣歴史資料学研究部門が公開している「江戸時代の手紙はどのようにして届けられたのか」というコラムでは、陸奥国・玉造郡下野目村の千葉岱蔵さんに宛てられた手紙の宛名書きが紹介されていますが、それはこのようになっています。

玉造郡下野目村肝入 千葉岱蔵

 千葉家は下野目村の肝入(名主)を務めていたので、「下野目村の庄屋さんである千葉岱蔵さん」という内容ですね。村にまで辿り着けばあとは誰に聞いても当然分かるだろ、という雰囲気も感じられます。実際そのくらいの感覚だったのだと思います。

 このように、人が住んでいる場所を示すものが住所であり、なぜ住んでいる場所を知りたいかといえばそこに人や物を届けたいからである以上、人の数が少なかったり、届ける頻度が少なかったりすれば、そんなに正確な住所の表記でなくても何とかなっていたのです。