「何を学ぶか」より「どこで学ぶか」? それとも逆?
ツヤに請われて、りんと直美はすぐには答えが出せない。ちょうど、看護婦の規則ができて、看護婦会としてどう生き残るかが問われていたからだ。恵風はトレインドナースしかいないことを売りにしたいところなのだ。しかもセツもいるし。「雇っていただけませんか」とツヤが言ったとき、セツがちらりと見ていた。
りんにもらった、英語の看護の本をまだ大事に持っていたツヤ。
「ずっと私のお守りでした。この本を読んでる時間だけは楽しかった」
ここ、東野絢香の名演技。
「ずっと私のお守りでした」
「この本を読んでる時間だけは楽しかった」
このセリフを言うときの声の震え。そして表情。彼女がこの11年もの間、どれほど大変だったかがわかる。大変でもこの本を必死で読んで、希望を繋いできたことがひしひしと伝わってくる。
急に再登場して、見た目はやっぱりあんまり変わってなくて若く見えるけれど、精一杯、セリフを語る瞬間だけ、彼女なりの時間の積み重ねを表現した。こういうのを見ると、お芝居って、ドラマっていいなあと思う。
りんはツヤを辞めさせてしまった負い目がある。ツヤが頑張りすぎて心身共に疲弊していたことに気づいてあげられなかったのだ。
その後、自分も追い詰められて新潟に行くことになったわけだが、りんは恵まれている。すぐに看護婦復帰できた。世の中にはツヤやセツのように、心機一転したくても世間がそれをゆるしてくれないことがある。
『風、薫る』ではもう何度主人公は恵まれている、と書いたことだろう。
さて。最終回に近いところで、そもそも「トレインドナースとは何か」という問題にぶち当たった。
簡単に言うと「定められた養成所で専門の教育と訓練を受けた看護婦」
でもその定められた養成所って? バーンズ先生がはじめた養成所を、帝都医大病院が自分のところでやるって言って、そこで養成所が確立されていないのだろうか。
そのことを指しているのか。とにかく、そこで学ばないとどれだけ頑張ってもトレインドナースにはなれない。
何を学ぶかよりどこで学ぶかが大事。看護の世界も学歴社会である。
だがりんと直美は、どこで学ぶかじゃなくて何を学ぶかであると立ち上がる。
「看護婦にとって最も基本となるのは。病人がいちいち言葉にせずともその顔つきや態度のちょっとした変化から気分や体調を察する力を持つことです」
バーンズ先生の教えを守るのだ。
猫の鳴き声でほっこりエンドだった。









