このドラマって、もしかして…最終回直前に気づいた「作品の本質」〈風、薫る第124回〉

「スイーツ朝ドラ」の本質と史実が描く“女たちの自立”

 初日は直美も一緒に来たが、今後はシマケンの看護は、りんが正式に担当することになった。

 粥を出されたシマケンは、粥と言えば……と蘊蓄(うんちく)を語りだす。昔とちっとも変わっていない。りんと再会したときは、無理して変わった自分を演出していたが、ほんとはちっとも変わっていないのだ。

 シマケンは自分の口からはなぜあのとき、りんの前から消えたのか話さないが、文史朗がりんにそのいきさつを明かす。

 文史朗の父、つまりシマケンの兄が借金を作って失踪したのが原因だった。

 着々と、りんとシマケンの元サヤムーブになっているが、シマケンの病気によってそれは容易ではない。

 病気を恋愛の障がいに使うのは、スイーツ映画(いわゆる恋愛主体の物語)だけで十分と思うが、そうか、『風、薫る』もスイーツ朝ドラという認識かもしれない。そこを見誤ると、明治時代の看護をはじめ時代考証が細かく機能していないのではないかと思ってしまう。でも、もともとスイーツと思ったら、気にならないかもしれない。

 最終回直前で、このドラマの本質に気づいた。そもそも、脚本家はTBSの火曜ドラマを主戦場にしていたのだから当然といえば当然だった。

 お仕事ドラマは、ツヤ(東野絢香)とセツ(村上穂乃佳)が担う。

 セツは、ツヤに刺激されはじめる。

「ツヤさん見てたら、字書けないって尻込みしてるのが情けなくなって」

 ふたりの姿を見ていて、直美は「看護婦は行き場がなくて困っている女の人が自分の力で生きていける道になると思うんだよね」と確信する。え、そこは、前から視聴者は気づいていたと思う。当人たちは気づいていなかったのか。

「ここに養成所を作って私たちで看護婦を育てる」と決意する直美。

 養成所の目標はいわゆる現代の予備校のように看護婦試験に合格させることではない。

 試験に合格するのはもちろんのこと、そのうえで患者から信頼される看護婦になることと掲げた。

 文字の勉強もできる、まさに行き場がなく困っている人に自分の力で生きていける道をつくる場所である。