変わる者と変わらない者――失意を抱えた者同士の共感

 長く鍛錬を続け、10年以上経ってようやく明るい道筋ができてきた。(自分のためではなく、誰かのためになることを行う道筋が。)

 史実では明治時代の看護婦養成所はどうなっているか。『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中公文庫 田中ひかる著)によると、りんのモチーフになっている大関和は、明治27(1894)年、新潟県で初の看護婦および産婆の養成所である「知命堂病院附属産婆看護婦養成所」が開かれ、その養成所の教員を務める。

 直美のモチーフになった鈴木雅も、明治29(1896)年に東京看護婦会講習所を開いている。

 これらと前後した明治19(1886)年には、東京・大久保百人町に、廃業娼妓たちの授産施設「慈愛館」が開館。廃業した娼妓たちの衣食住を保証し、読み書きのみならず自立のための教育も行う場所だった。しかも、生活が立ち行くまでの費用も負担したというから、偉業である。

 そして日清戦争(1894〜1895年)がはじまって、看護婦が活躍するようになるのだから、和の活動がそこにも寄与したのではないかと推察できる。ただ、娼妓たちが看護婦になって活躍するということではなさそうだ。そういう人もいたかもしれないが。

 ドラマではこの頃の史実を日清戦争後の恵風看護婦会の活動に集約したようだ。

 直美は平蔵(太田光)の派出看護を続けている。

 結婚して子供が生まれて、夫亡くしてひとりになって、いまは養成所の先生か、と直美のこの10年ほどの変化に感心する平蔵。それに比べて、彼は「何一つ変わらねえ。あいつが死んでからずっとこのままだ」と花瓶の花を見る。

 粗野っぽいこの人が繊細な花を飾り続けていたのは、亡き妻を思ってのことだった。おそらく、直美は最初にそれに気づいていたのだろう。大切な人を失くした者同士が呼びあっていたのだ。

 ただ、「変わりたいわけじゃない」という平蔵。酒をまた飲む。

 ほんとに変わりたいと思ってないのかどうか。でも誰でも変われるわけではない。平蔵は変わらない人代表であってほしい。

 直美は帰宅し、子守唄を歌いながら明の寝顔をやさしく見つめる。そして、亡き夫の写真を見る。立場は変わったけれど、直美も心は変わっていないのだ。

このドラマって、もしかして…最終回直前に気づいた「作品の本質」〈風、薫る第124回〉
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