大軍を率いる秀長、それでも兄の宿所を普請?
その後も戦いは続きます。
5月以降、秀吉が伊勢・尾張方面への攻勢を強めると、小一郎も加賀野井城や竹ヶ鼻城への攻撃に関わったと考えられ、竹ヶ鼻城は6月10日に落城しました。
落城の2日前、秀吉は「霍乱(かくらん)」、現在でいう暑気あたりのような症状になり、養生のため大坂へ戻ることになります。
この際、小一郎は、秀吉が大坂に戻る途中で利用する宿泊所を近江の土山付近に普請しているのです。すでに大軍を率いる重臣となっていた小一郎が、それでも兄秀吉のために宿泊施設の準備までしていたというのは、興味深い事実と言えるでしょう。
小一郎はまさに「全身全霊で兄を支える弟」だったのです。
ドラマで描かれていた以上に、実は大きな活躍をしていた小一郎 (C)NHK 拡大画像表示
蟹江城をめぐる攻防
秀吉が大坂へ戻った後も、小一郎は伊勢攻略を継続していました。
さらに秀吉は6月16日、滝川一益と九鬼嘉隆に蟹江城を攻撃させます。蟹江城は、信雄のいる長島城と家康のいる清洲城の中間に位置しており、ここを押さえれば両者の連携を断つことができる重要拠点でした。
しかし家康も、その重要性は理解しており、7月3日には早くも蟹江城を奪還しています。
このころ秀吉は、伊勢への大規模な攻撃を計画していましたが、蟹江城が奪還されたこともあり、総攻撃を8月へ延期します。
この間、小一郎は美濃の池尻付近に駐屯し、尾張と伊勢の双方に対応できる態勢を取っていました。
そして8月11日、ついに秀吉が大坂を出発。15日には、池尻で小一郎と合流し、再び尾張へ進軍をはじめました。
この頃には、信雄・家康側にも秀吉との和平を模索する動きが出ていましたが、交渉はまとまりませんでした。







