長久手の戦いで秀吉軍が大敗!小一郎はどこにいた?

 では、小一郎はどこで何をしていたのでしょうか。

 実は、この日、小一郎は伊勢方面で戦っていたのです。秀吉にとって、この戦いの本来の標的は信雄であり、その主要な所領である伊勢でした。ところが犬山城の奪取をきっかけに家康が参戦したため、秀吉はそちらへの対応を迫られることになってしまいます。

 そこで秀吉は、信雄方の伊勢に対して、織田信長の四男で自身の養子となっていた羽柴秀勝や弟の小一郎らをさしむけたのです。

 そして4月9日、長久手で秀吉軍が大敗したその日、小一郎は信雄方の拠点、松ヶ島城を攻め落とします。

 つまり、長久手の戦場に小一郎の姿がなかったのは、「何もしていなかったから」ではなく、別の戦場で、兄・秀吉の戦を支える重要な役目を果たしていたからだったのです。

秀吉軍が大敗した長久手の戦いに、弟・小一郎は参加していない (C)NHK秀吉軍が大敗した長久手の戦いに、弟・小一郎(右)は参加していなかった (C)NHK 拡大画像表示

 しかも、長久手での敗報を受けた小一郎は、急いで秀吉のもとへ駆けつけ、4月11日には楽田の秀吉軍に合流したといわれています。

『当代記』には、このとき小一郎の率いる約7000の兵が到着したおかげで、意気消沈していた秀吉軍の兵士たちが「士卒快気」、つまり元気を取り戻したと記されています。

 小一郎は、派手な勝利を挙げるタイプではありませんでしたが、秀吉にとって、重要な戦線を維持し、敗戦後には軍の立て直しにも貢献する、頼れる存在だったのです。