なぜ、最高の目利きが集まり、最高の基準で選んだはずの「グランプリ」が、後の市場で負けてしまうのか?

「誰もが認める美しさ」が
逆に弱点になる時代

 考えられる最大の理由は、多くの審査員によって合議制で選ばれるトップ(グランプリ)は、必然的に「全員が納得せざるを得ない、欠点のない優等生」に収束してしまうからだ。

 合議制の評価とは、個人の尖った感性を平均化する作業にほかならない。その結果、選ばれるのは「既視感のある美しさ」を持った意外性のない人物になる。

 対して、特別賞や部門賞の受賞者には、ある審査員からは酷評されるような欠点があるかもしれないが、別の審査員の心を強烈に揺さぶる「未知の光」がある。

 芸能、アート、あるいはイノベーションの世界において、人々に感動や驚きを与えるのは、常に「既成概念とのギャップ」や「意外性」である。

 多数派の支持を得ることが、変化の激しい世界では逆に弱点となるのだ。多数決で選ばれた「正解」は、すでに過去のデータの集積でしかなく、未来の爆発力を保証しない。

 組織における選別は、基本的に過去の成功体験や蓄積されたデータに基づいて行われる。たとえ「個性的な人材を採用しよう」と標榜していても、評価シートに落とし込む過程で、無意識のうちに過去のパターンが投影される。

 だとしたら、組織や集団ではなく、個人の眼に判断を委ねたらどうか、と言われるかもしれない。しかし、それでも問題は解決されない。

 こんな経験はないだろうか?

 外見にしても性格にしても、自分の理想どおりの人が目の前に現れたとする。はじめは感激するかもしれないが、付き合っているうちにだんだん感激が薄れていく。逆に最初は魅力を感じなかった人や、ちょっと苦手だと思った人に少しずつ惹かれていく。映画やドラマにもよくある展開だ。

 やはりイメージとのギャップや違和感にこそ、人を引きつける魅力が隠れているケースが少なくないのだ。