皇太子も靴を履いたまま
和風の椿山荘へ入った

 図26-3で床上にいる男たちの足元は、ほぼわからない。前列にならぶ者が、そこをかくしている。ただ、中央で腰をおとす皇太子と、右隣の寺内正毅は、足先が見えていた。どちらも、靴をはいている。おそらく、ほかの面々も同じようにしていたろう。

図26-3 山県有朋邸の皇太子明宮 1909年5月同書より転載 拡大画像表示

 椿山荘は和風の館である。この記念写真をとった場も、庭にむかい屋敷を大きくひらいていた。

 和風の縁側である。だが、皇太子はそんな和館のなかへ、靴履きのままむかえられていた。まわりも、それにならっている。

 図26-4は、1959年1月14日における、いわゆる納采の儀をうつした写真である。この年、皇太子(現上皇)は、正田家から皇太子妃(現上皇后)をむかえた。1月14日には、その正田家が宮内庁からの使者、鈴木東宮大夫と、自邸で対面する。求婚を、つつしんでうけると表明する場が、同家の応接間にもうけられた。

図26-4 納采の儀 1959年1月14日同書より転載 拡大画像表示

 正田家の人たちは、靴や草履をはいた正装で、この場にのぞんでいる。のみならず、宮内庁の東宮大夫も靴をぬいではいない。靴履きで、のちに皇太子妃となる令嬢の実家へあがりこんでいる。まあ、正装ということにこだわれば、こうなってしまうのだろう。