日本の宮中では「靴履き」が礼
使節はペルシア王宮でも靴を脱がなかった

 1868年に日本は政体をあらためた。天皇を君主として、以前よりはっきりうちだしている。いわゆる明治維新をなしとげた。外交のありかたも一変させている。それまでの閉鎖的な姿勢からぬけだした。未知の国へ、日本のほうから門戸をひらくよう、もとめるようになっている。

 たとえば、1880年には今のイランへ外交使節を派遣した。当時のカジャール朝ペルシアへ、吉田正春らをおくりこんでいる。通商の許可をとりつけるためである。

 日本の一行は王宮へもでむいている。この時、ペルシア側は吉田らに、廷内へは靴をぬいでからはいれと要請した。だが、日本側は拒絶する。国王の前へも、靴をはいたまますすんでいった。そのいきさつを、吉田はのちに回顧録で、こうしるす。

「外務大臣はとみに通弁に命じて余の靴を脱せよと言いたり。蓋しペルシャの風として殿内には皆靴を脱し、跣足歩趨するを例とす。余は身に礼服を着し足に靴を脱することはなし能わざる故に、余は答えたり。日本においては宮中に靴を穿つを礼とす、跣足至尊を見る不敬これより大なるはなし」(『回彊探検ペルシャの旅』1991年)

 自分たちは礼装で、ここへきている。靴をとってしまえば、その正しい姿がたもてない。だから、靴ははきつづける。そう言いはなち、靴履きのまま王の前へ歩みでた。外交儀礼を、日本側は土足でおしきったのである。

 十数年前までは、欧米から同じことを強要されてきた。こんどは、日本がそれをペルシアにおしつけている。日本外交が急速に西洋化したことを、このエピソードは物語る。

 それにしても、吉田がペルシア側へつげた日本の宮廷事情は興味深い。いわく、日本の廷内では、靴履きの姿こそが礼にかなう。天皇に跣足、つまりはだしの足を見せてしまうのは不敬にあたるという。宮廷に西洋的な靴履きの習慣が、すっかり定着しきったことを読みとれよう。明治天皇が土足で岩倉邸へあがりこんだゆえんである。

皇室写真集では
誰も靴を脱いでいなかった

 天皇家の家庭生活を、私はよく知らない。ただ、時おり宮内庁からその一端は、写真でしめされる。たとえば、「天皇ご一家ご繁栄の軌跡」と題された写真群がある。私は『皇室の昭和史―天皇・皇后両陛下ご成婚六十年記念写真集』(1984年)で、それらを見た。