実物の取材を徹底して
精密なキットを生み出す
しかし1962年1月発売の「パンサータンク」の大ヒットで、奇跡のV字回復を果たし、1965年から始まるスロットレーシングブームで販路も海外に広まるのですが、何と言ってもエポックメイキングなのは1967年11月発売の「1/12ホンダF-1」でした。
今でこそプラモデルの新製品開発に当たって、実物の取材というのは当たり前ですが、当時は雑誌等に載った図面や、限られた枚数の写真を基に設計するのが普通でした。しかし、タミヤはホンダF-1の開発に当たってホンダの全面協力を得て、モナコグランプリに向けて空輸を待つ羽田空港の倉庫まで実車の取材に行ったのです。このキットはタミヤ初のニュルンベルク国際見本市出展で、世界に華々しくデビューして大ヒットとなったことは先に触れました。
一方で戦車模型に関しては、国内の取材では対象物がほぼ存在しないので、わざわざ海外の軍事博物館に出かけて徹底的な撮影と採寸を行いました。こうして1960年代後半から始まったタミヤのスケールモデル開発は「実物の取材」が基本となり、他社とは一線を画した精密なキットのラインナップが始まったのです。全て若きリーダー田宮俊作企画部長(当時)が手掛けたことでした。
他社も負けてはいません。同様に実物の取材をするようになり、より精密なキット開発競争が始まりました。そんな中、「パーツ数が多ければ精密な良いキット」という考えが世間の風潮になりがちでしたが、タミヤは一貫してパーツ数を抑えて、組みやすさを大切にすることにこだわりました。
精密さより組みやすさを
優先した田宮俊作の判断
象徴的な例があります。1970年12月に発売になった「1/6ホンダドリームCB750 FOUR」というオートバイの大型キットです。こだわった若き設計者が、駆動チェーンを1コマ1コマ、金属パーツとプラスチックパーツを組み合わせる可動構造を開発しました。なるほど完成後も自然なたるみが再現され、精密感は満点です。しかしお客様から「組みにくい」という意見が相次いだことにより、2版目からはチェーン部分が一体成型されたパーツに差し変わりました。自らも組み立て式を大いに評価しながらも、組みやすさを最優先し、コスト面も含めてこの判断を下したのも若き田宮俊作氏でした。







