最も多かったのは、たとえ共有しても「反応が薄そうだ(20.0%)」、「興味を全く持たれなそうだ(16.3%)」といった、相手の無関心を予想する項目である。一方、「転職や異動を考えていると思われそうだ(14.5%)」、「出し抜こうとしている、と思われそうだ(11.4%)」といった、不当な疑念を向けられることへの警戒も見逃せない。

 実際にそう考えているならまだしも、身に覚えのない疑いをかけられるのは、決して気持ちのよいものではない。共有を避けたくなるのも無理はないだろう。

勉強していると知られるだけで
余計な仕事が増えそうだ

 ただし、組織の学習という観点からより深刻なのは、「仕事が暇だと思われそう(追加の仕事が降ってきそうだ)(15.6%)」、「仕事の時間のほうを優先するべきと思われそうだ(14.0%)」、「仕事の役に立たないことをしている、と思われそうだ(12.0%)」といった、学習行動そのものが実害をもたらすと、学習者本人に感じさせている点である。

 同僚からスルーされる、警戒されるといった状況も決して望ましくはないが、追加の仕事を押し付けられたり、学習活動を非難されたりすることは、学習者にとって明確な不利益となる。そのため、こうしたリスクを避けようと、自然に自己防衛的に学習を秘匿する行動がとられるのである。

 その結果、たとえ働く個人が学習し続け、職場にとって有益な成果を得たとしても、それは職場集団に共有されなくなる。

 つまり、学習活動や学習内容の秘匿化が生じるのは、知識を共有することで得られるメリットよりも、共有によって被る可能性のある、デメリットのほうが「圧倒的に」大きいと感じられるからに他ならない。

 では、なぜ個人が学習活動や学習成果を組織に共有すると、実害というデメリットが生じてしまうのか。その背景には、組織や集団に長年蓄積され、当然視されている行動基準や価値観といった集団規範がある。