「普通の家庭人」が
セクハラ加害者に

 付け加えるのであれば、この男性編集長が根っからの悪人というわけではないことも印象的だ。

 映画の中ではほんの一瞬、妻子と休日を過ごす編集長の姿が登場する。職場では女性の評判を傷つけ、仕事を奪うほどの嫌がらせをしながら、家庭では妻や子どもと過ごす、どこにでもいる父親である。

 この描写が興味深いのは、ハラスメントの加害者が、日常生活のあらゆる場面で悪人として振舞っているとは限らないことを示しているからだ。

 家族を大切にしていることと、職場で他人の尊厳を大切にすることは、必ずしも一致しない。

 また、この編集長自身も、当時の「男らしさ」という価値観と無縁ではなかったのかもしれない。

 男は仕事で成果を出し、家族を養い、職場では女性より優位に立つべきだ。そんな価値観が当たり前だった時代に、自分よりも若い女性が高く評価され、周囲から慕われている状況は、彼にとって自尊心を傷つけられるものだったのではないか。

 もちろん、映画に描かれていない編集長の内心を断定することはできない。ただ、「女らしさ」の押し付けがある社会には、同時に「男らしさ」の押し付けも存在する。そのことを考えさせる描写ではある。

 そして、ここにハラスメントの厄介さがある。

 嫉妬も、劣等感も、自分の立場が脅かされる不安も、人間から簡単になくなるものではない。だからといって、そうした感情が必ず他人への攻撃につながるわけではない。

 問題は、個人の感情だけではなく、それを他人への攻撃に変えてしまう価値観や、攻撃を許してしまう職場環境にもある。

『ファーストボイス』の舞台となった時代には、女性の性的な評判を傷つけることが仕事上の信用を奪う手段として機能していた。そして、そうした中傷を受けた女性が声を上げても、周囲はなかなか問題として受け止めなかった。

 しかし、その「常識」は変わった。

 誰かが最初に違和感を口にし、理不尽だと声を上げる。その人は厳しい戦いを強いられるかもしれない。それでも、声を上げた人が道を切り開き、後に続く人たちがその道を少しずつ太くしていく。

 人間の嫉妬は、これからもなくならないだろう。

 しかし、嫉妬を他人への攻撃に変えることを許さない社会は、つくることができる。『ファーストボイス』は、約40年前の女性たちの戦いを通じて、そんな希望を感じさせる映画でもある。