これは、表向きは褒めているように見えるが、伏見を「洛中ではない」と見なしている可能性が高い。お酒造りの話など伏見の話題で盛り上がればよいが、そうでない場合も往々にしてある。
筆者が京都市内に勤めていたとき、社屋の移転の話が出た際、長く勤めている人が「五条通より北でないと、会社としては格好がつかない」と言っていた。
豊臣秀吉が1591年に築いた「御土居(土居堀)」では、 北は鷹ヶ峯付近、西は紙屋川(天神川)付近、東は鴨川西岸付近、南は九条通付近だったというから、五条通は立派な「洛中」だ。
しかし、五条通より南は「下町(しもぎょう)」や「工業・職人の街」というイメージがかつては強く、現代でも格式を重んじる企業からは敬遠される傾向があるという。このため、「五条通より北」という条件は、現代でも企業の格式やステータスを分ける境界線と見なされているとか。
このように、京都市中でさえ伝統的に境界線が引かれているのが、京都の地域意識の特徴なのだ。
「どないしはったんかと思て、心配してたんです」
本当は、相手に非があることを気付かせたい
京都の言葉は、本音をオブラートに包むようにして直接表現しない特徴がある。
「何もおへんけど(ありませんが)、ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどす?」と声をかけられ、それを真に受けて食べてようとしたが、それは「早く帰ってほしい」という意味だったという上方落語の演目、『京の茶漬け』は有名だ。
京都では直接的に相手を非難するのではなく、婉曲に言って「相手に非を気付かせる」というシーンがよく見られる。
たとえば、京都の会社や支社とオンラインミーティングを行う際に、回線の不具合で時間になっても入れなかったとする。そうすると、やっとつながった際に「どないしはったんかと思て、心配してたんです」と言われる。
この言葉には、もちろん本当に「心配していた」という意味も含まれるが、「遅かったじゃないの!」という文句も含まれる。さらに、「心配させないように、電話でもいいから連絡をくれたらよかったんじゃないの?」という意味も含まれており、相手にその非を気付かせたいという意図がある。
『京の茶漬け』で「ぶぶ漬けでもどうどす?」と声を掛けたのも、相手に「長居をしすぎたな。そこまでお世話になっては申し訳ない」と思わせ、帰るきっかけにしてほしいという意図があるからだ。
相手に非を気付かせ、行動を促す。そのための意図が京都の言葉には込められていると理解しておこう。







