一言で言えば「排尿障害」。この言葉も、病気になってから知りました。
ここに書いているように、フジテレビ在職中の5月にがんの検査をしています。小倉さんが「膀胱がん」を克服したことで、自分の体のことが気になってしまい、検査を受けたのです。
5月15日に出た検査結果は、
結果:正常範囲内
前立腺がんマーカーは正常でしたので心配ありません
しかし、検査では異常ないと診断されたのに、どんどん具合が悪くなっていったのです。
20年間出演した
「とくダネ!」の最終日
振り返って今思えば、大変だったのは、人生の一大事である「退社」と「フリーアナウンサーへの転向」と「がんの発生」がほぼ同時進行で起きていたことでしょう。
とにかくスケジュールがめちゃくちゃになりました。
9月23日の激痛は、施術によって緩和されたものの、2~3日するとまた痛みに襲われ、整骨院を訪ねました。この時はがんが原因だということがまったくわかっていなかったので、なんとか施術で治そうとしていました。その後も3日に一度のペースで足を運んでいました。スタッフの皆さんには本当によくしていただきました。
そして、9月27日金曜日……。
20年間、毎日毎日出演してきた「とくダネ!」の最終日。最後は20分近く私の特集を組んでいただき、たくさんの懐かしい映像でここまでを振り返り、そして視聴者の皆さんにご挨拶をしました。
「とくダネ!」のスタッフやフジテレビの仲間たちは皆、涙涙で号泣の笠井信輔を想像していたようです。私はそれくらい涙もろいアナウンサーとして有名でした。この33年間、何回スタジオで涙したかわかりません。アナウンサーというもの、常に冷静でいなければならず、本番中や取材中に涙など見せないもの、そう考えている方は少なくありません。
『生きる力 がん寛解までの記録』(笠井信輔、KADOKAWA)
ただ私は常に「素直な感情で現場やスタジオにいよう、喜怒哀楽をしっかりと表現できるアナウンサーでいよう」と心がけていました。泣くことは恥だとは思っていません。ですから、仲の良いスタッフたちも、アナウンス室の可愛い後輩たちも「笠井さん、絶対に泣く」とうれしそうに言っていました。
しかし、私は首を切られたわけではありません。辞めるように仕向けられたわけでもありません。自分自身の決断として外の世界に出ることを決めたので「最終日はメソメソしていてはいけない」と心に決めていました。
5分にわたるお別れの挨拶の中で、言葉に詰まりわずかに涙したのは1箇所でした。小倉さんのがんの話をした時です。小倉さんが見事に病魔を克服してスタジオに戻ってきた時の感動は今でも忘れません。その時のことを思い出し思わず泣きそうになりましたが、そこはこらえました。
自分で言うのもなんですが、最後の生放送、うまくできたなと思っています。







