公立小学校で3年間、教師経験のある乙武洋匡さん。そして同じく体育教師として中学校へ赴任、陸上部を率いた経験もある教育系NPOの代表である松田悠介さんのお二人による教育対談の後編。子どもたちへの教育を通して感じたこと、これからの課題などを語っていただいた。(この対談は12月12日に東京:インテリジェンス本社にて行われた講演会を元に、編集・構成しています)
「僕の教師生活は3年間の任期付きだった」
松田悠介(以下、松田) 前回、濃い教師体験エピソードをうかがって、非常に感銘をうけたのですが、せっかく教師になったのに3年間で辞めてしまったのはなぜですか?
乙武洋匡(以下、乙武) ひとつにはもともとの契約が3年だったということがあります。ご存じの方もいると思いますが、教師の採用というのはちょっと複雑で、採用の権限は都道府県にあって、予算も都道府県が負担。その後、その都道府県の区市町村に配置するという仕組みなんです。
僕は、大学に入り直して2007年に教員免許を取得しました。ただ、それですぐ教師になれるわけではなく、本来は都道府県の採用試験を受けないといけないんです。そこで自分の住んでいた東京都を調べたところ、当時の採用試験には実技があった。それは「ピアノ」と「水泳」です。
さすがにこれは受かるはずもないな、と途方に暮れていたところ、杉並区が区の条例で、杉並区の予算で教員を採用し「区立の小中学校へ配置する」という枠を作っていたんです。それで、「その枠で採用します。その代わりに3年間の任期付き」という条件で採用していただけたんです。
松田 なるほど……。3年で辞めたのではなく任期満了だったと。
乙武 はい。ただ、もし、違う地方自治体からお誘いがあったとして、もう一度現場の教師をやるかどうかは、正直、ちょっとわからないですね。僕は違う角度から教育にアプローチしたいと思っているんです。
前回お話した通り、現場では真剣に子どもたちと向き合って『あしたのジョー』のように真っ白になるくらい燃え尽きました(笑)
それぐらい全力を尽くしました。だからこそ、目の前の親御さんや子どもたちに向き合って、信頼関係を築けたと思いますが、でも教育界全体を変えられたか、というとそうではなかった。現場の一教師として、それをやるのは限界があるな、と。
松田 そのお話、非常に共感します。