「事実」とは違う
等身大の自己PR
総合商社に内定したA君。
初期の面接ではカッコつけて、こんな「学生時代に頑張ったこと」を話していた。
「学生時代、NPO法人の支援金を企業に募る仕事をやっていた。結果としては50万円を集めることに成功。難しい交渉の局面もあったが、持ち前の粘り強さを生かして、最終的には契約にこぎつけることができた。ここで学んだビジネス感覚を、御社でも生かしていきたい」
「学生なのにそこそこのお金を動かしていた、すごいだろう!!」と言わんばかりのテンションで、得意げに話していたのだ。
しかし、残念ながらまったく面接官には評価されない。
数億のビジネスを日常としている社会人だ。起業したわけでもない学生が、「既存の枠組みの中で、頑張ったこと」を簡単には評価しない。
あっさり1次面接で落とされてしまった。
中途半端に自信があっただけに、落ち込んだ。
何がいけないのかを考えるために、OB訪問や、友人との語り合いを通して、自分の考えの甘さを徹底して追究した。
すると以下のようなことに気づく。
・実は、前年は100万円集まっていたので、50万円しか集められなかった自分は、失敗に終わっている(それをごまかして話している自分は、実は情けない男だ)
・失敗すると分かっていて、あえて成長のチャンスをくれたNPOの先輩の優しさと感謝
・自分は、その思いを裏切ったこと。今になって後悔している
・自分には謙虚さや、失敗を認める強さがなかった。それを身につけようとしている
・現在取り組んでいるプロジェクトが成功しつつあるのは、この失敗があったからだ
・この経験から学んだこと、まだ残る自分への問題意識の数々……
挙げたらキリがないほど、出てきた。強い自分、弱い自分、周りへの感謝。
虚勢を張っていた自分には見えなかったものが、次々と見えてきたのだ。