赤面症で人見知り、チームワークなんてもってのほかだった私が
ダボス会議でグローバルシェイパーに選ばれるように
大学を卒業して投資銀行で働いていた私はもちろん起業経験者でもなければ、宝飾業界にもまったくの素人。まとまったお金があるわけでも、他の人に比べてとりたてて秀でているものがあるわけでもない。日本にはないビジネスモデルだから、文字どおり右も左もわからない。ただ「やりたい」という気持ちしかないのが26歳の私でした。
そこからどのような経験をしたのか、壁を乗り越えたのかはこれからの連載に譲りますが、とにかく順風満帆とはまったく言えなかったけれど、いろいろな方に支えられ、おかげさまで今は表参道と名古屋に直営店を2店舗、そのほか新宿伊勢丹などの百貨店にも出店しています。
起業家として会社を経営しつつ世界中を飛び回っている、というと、「もともと社交的で勢いのある人間だったんでしょう」「若くして起業して順風満帆にここまできたんですね」と言われることがとても多いのですが、決してそうではありません。
むしろまったくの逆でした。
赤面症で人見知り、集団行動なんて大嫌い、チームワークなんてもってのほか。運動も友達づきあいも集団行動が大の苦手だったため、運動会や遠足の二週間前から胃が痛くなるような子どもでした。小学校ですでに「私はどうして生まれてきてしまったんだろう」と考えこむ――。
親が本気で心配するくらい、ひどく内向きの子でした。
そんな私が起業し、世界中の鉱山と取引をし、世界経済フォーラムのグローバルシェイパーズに選ばれ、ロシアで開催されたAPEC会議やスイスのダボス会議に呼んでいただき、大勢の前で講演をすることになるなんて、いったい誰が想像したでしょうか?