岸見 原田さんは以前、著書『近頃の若者はなぜダメなのか』(光文社新書)で、「新村社会(しんムラしゃかい)」という言葉を使われていますね。若者が空気を読むことを強いられていて、じっさい巧みに空気を読む者も多いけれど、彼らは「村社会」にいるかのような、不自由な生き方を余儀なくされていると。しかもネットの登場により、新しいタイプの村社会が誕生していると。そこに書かれている生きづらさは、僕のところにカウンセリングに来る人の生きづらさに、とても近いと思いました。

原田 マイルドヤンキーも新村社会に生きています。中学時代の狭くて強固な人間関係が途切れず続いているうえ、LINEに代表されるソーシャルメディアのせいで、良くも悪くも昔の友達と「常時接続」されてしまっているんです。一度仲間に嫌われてしまったら、もう戻るところがない。村八分的なものも、昔以上に存在します。

岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。高校生の頃から哲学を志し、大学進学後は先生の自宅にたびたび押しかけては議論をふっかける。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの「青年」のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』『人はなぜ神経症になるのか』、著書に『アドラー心理学入門』など多数。『嫌われる勇気』では原案を担当。

岸見 常時監視から逃れられない社会にいるのですね。

原田 高学歴の大学生も別の意味でそうなんですよ。彼らはマイルドヤンキーとは対照的に、薄くて広い人間関係を形成していますが、たとえば……渋谷を歩くのすら、ちょっと怖がっています。

岸見 どういうことですか?

原田 街のお店なんかで誰かに見つかって「あいつ、(生意気に)渋谷の●●にいるよ」などとツイートされるのを極度に怖れてるんです。タレントでもないのに(笑)。バッシングされる材料は極力排除して、皆「善良な人」であることを過剰なほどSNSでアピールします。もっと言うと、SNSで噂が流れるから恋愛もしにくい。変に目立つことで嫌われたくないんです。

岸見 マイルドヤンキーと高学歴層、いずれも「嫌われる勇気がない」ということですね。今の若い人って、同世代の友達といった「横のつながり」にも、適応する努力をしなければならないのですね。かつては、若い人の社会適応の問題というのは「縦のつながり」に対してだけの話だったのに。

原田 上司とか、先輩とかとの関係の話でしたよね。

岸見 TwitterにしろLINEにしろ、本音のところではやめてしまいたい人も多いのではないですか。

原田 ええ。以前、若者研究所でリサーチを手伝ってくれている大学生がSNSをやることでいろいろ悩んでいるから「やめちゃえば」って言ったら、「やめたいですよ……ただし、みんながやめるなら」と返ってきました。