ゼロから起業し、エスグラントは上場を果たしものの、リーマンショックにより全財産を失い破綻、その後再びゼロから起業、成功させた若き経営者が心に刻んだ教訓を綴った『30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由』の出版を記念して、第2章を順次公開。上場を果たしてまさに人生の絶頂にあった著者の視界に暗雲が漂い始めます。第5回は業績の魔力におかしくなっていく著者を描く。
「業績」という名の
魔力が経営者の正気を奪う
銀行の態度が変わるのと前後して、社内で気になる「変調」が起き始めていた。引き金になったのは、副社長を任せていた川田の退社だった。
川田は、私がワンルームマンションの世界に飛び込んだ会社での上司だった。エスグラントの業績が好転し、上場を目指して走り始めた時、社内体制を強化するために入社してきてくれたのだ。
「社長、本日からお世話になります。よろしくお願いします」
以前の上司で、年齢も6歳上の川田だが、入社当日、居ずまいを正して敬語で挨拶してくれたことを覚えている。上場を果たし、一緒に会社を成長させてきた仲間だった。
それが、世の中の風向きが変わり、会社の行く末に不安の陰が見え始めるとともに、エスグラントから去って行ったのだ。それまで一枚岩だったエスグラントの結束が、微妙に揺らぎ始める。
川田が辞めたきっかけは、グループ会社の役員が集まる月例会議でのことだった。
サブプライム問題表面化の影響もあったのだろう。川田に任せていた営業部門の成績が数ヵ月間低迷していた。さらに、川田の肝いりで仕入れた芝浦プロジェクトが近隣住民の反対とマスコミの煽りでストップした。建築を計画していた大規模マンションを建てられなくなったのである。苦肉の策で隣地を買収し、36階建てのツインタワーにするという代替案が出されたが、この金融情勢では実現するために相当高いハードルがあった。
「川田さん、責任はどう取るおつもりですか?」
「すみません……」
「この状況では降格は免れませんよ」
経営者として海外IRなどで世界を駆け回り、資金調達に奔走していた私は、役員の心のケアまで頭が回らなくなっていた。
年上の元上司だったこともあり、それまで私は川田のことを「副社長」と呼んで一定の敬意を示していた。ところがこの時は言い訳無用で断罪した。川田にとって、耐えがたい屈辱だったに違いない。