和田 まさか4年後にアドラーがここまで注目されるとは思いませんでしたよね。アドラー心理学は長い間、メジャーになれない憂き目をみていて、研究者も少ないと聞きました。なぜなのですか?

岸見一郎(きしみ いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ。京都在住。高校生の頃から哲学を志し、大学進学後は先生の自宅にたびたび押しかけては議論をふっかける。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの“青年”のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』(アルテ)、『人はなぜ神経症になるのか』(春秋社)、著書に『嫌われる勇気』(古賀史健氏との共著、ダイヤモンド社)、『アドラー心理学入門』『アドラー心理学実践入門』(以上、ベストセラーズ)』、『アドラー 人生を生き抜く心理学』(日本放送出版協会)などがある。

岸見 一つは、大学で学べないということが大きな要因だと思います。大学で心理学を専攻した人でも「名前は聞いたことがあるけど……」という程度です。さらに、もともとアドラー心理学が専門家のみを対象としたものではないことも関係しているでしょう。アドラーがアメリカに活動の拠点を移したときに、精神医学の技法としてアドラー心理学を採用したいとニューヨークの医師会が申し出たことがありました。その際の条件は「われわれ医師会にだけアドラー心理学を使わせてほしい」というものです。しかし、アドラーはその申し出を断わったのです。

和田 どうしてですか?

岸見 「私の心理学は、みんなの心理学である」というわけです。しかし、そのような考え方を専門家はあまり好みません。専門家だけの専売特許にしたいからです。

和田 アドラー自身も他者からの評価を求めなかったということですね?

岸見 アドラーは「自分の学派が存在していたことを皆が忘れてしまってもかまわない」と言っています。それだけ、皆の生き方に浸透したという証拠です。アドラーが他の心理学よりメジャーでないのは、アドラー自らが望んだことだとも言えそうです。

和田 たしかに名前は知らなくても、考え方はいろいろなところに浸透していますよね。私の「陽転思考」もその一つだと思います。

岸見 実はアドラーが源流となっている考え方が色々とあることは間違いないと思います。