過去ではなく、
自分で変えられる「今」にフォーカスする
和田 でも、悩み事を抱えている方は、自分のことをわかってほしくて仕方ないんですよね。過去のつらい出来事を吐き出して、「大変だったね」と言ってもらいたい。悩んでいる人にそのように接するのは悪いことですか?
岸見 アドラーは「患者を無責任と依存の地位に置いてはいけない」と言っています。つまり相手に対して、「あなたのせいではない」という言い方をしてはいけない、と。責任を他者に転嫁するお手伝いをするのではなく、「すべてが自分から始まっている」ことを理解してもらう必要があります。
和田 なるほど。一方では、虐待された子どもが、親になったときに虐待を繰り返すという話もありますね?
岸見 これはかなり複雑な背景があると思います。というのも、どんなに親から大変な目に遭っていても、カウンセラーが「それは酷い親ですね」と相談に来た方に言うと怒られてしまうことがあります。なぜなら、どんな子どもでも例外なく親を愛しているからです。では、なぜ自分が親になったときに子どもを虐待するのかというと、「私が子どもを虐待して、なおかつこの子を愛せるなら、私の親も私を愛していたのだ」と思いたいからなのです。
和田 かなりこじれていますね。
岸見 私は、相談に来られた方が考えもしなかったことを伝えるのがカウンセリングだと思っています。これまでの考え方を強化するようなカウンセリングをしても意味がありません。
和田 なるほど。
岸見 カウンセリングをした後に、その人の人生が変わらないようなカウンセリングはしてはいけないと思います。どうにかして「なんとかできそうだ」という希望を抱いて帰っていただきたい。過去の話をしても絶望するしかありませんよね。たとえば子どもが不登校になったと相談しにきた人に、「あなたの育て方がよくなかったからだ」と話しても救いがありません。「今後、適切な関わり方をしていけば子どもとの関係は変わります。そのことによって子どもが変わるかどうかは子ども自身の『課題』なのでわからないけれど、少なくとも変わる可能性は出てきます」といった話をする必要があると思います。
和田 今、自分が変えられることにフォーカスするということですね?
岸見 そうです。「私には何ができるのか」ということに思いを向けてもらうのです。
和田 過去ではなく「今」にスポットを当てるのは、アドラー心理学の素晴らしいところですね。でも、たとえば「死にたい」と言われたらどうしたらいいのでしょうか。「よりよく生きたい」とか「人とつながりたい」といった根っこの欲求があれば話は別ですが、そうではない場合にどう対応したらよいかわからなくなってしまうのです。
岸見 そうした人に私は「ご両親は健在ですか?」と聞いたことがあります。「もし、親御さんが亡くなっていれば、死んだら天国で会えるかもしれない。でも、ご存命なら会えませんよ」と。おかしな説得の方法だと思うかもしれませんが、カウンセリングに来る人は、総じて深刻な人が多い。生きる以上、真剣でなければいけないとは思いますが、深刻である必要はないのです。ですから、深刻さをやわらげるために、風向きを変えるような拍子抜けする話もしてみる。生死の問題は単純ではないのでリスクはあるかもしれませんが、あまり思い詰めなくてもいいということを伝えたいのです。
(後編に続く)