“はっぴいえんど”が目指したのは、日本語によるロックです。しかし、8ビートのロックのリズムにぴったりなのは英語です。でも日本語だって、その豊かな言葉の中から適切に選択すれば、立派なロックになるはずだ、という確信が彼らにはあったのです。

 サウンドは、“はっぴいえんど”のメンバーが愛してやまない二ール・ヤングらの影響が顕著です。ヤングのデビュー盤(写真)収録の「ローナー」に「春よ来い」の源流が垣間見えます。

 セールス的には無視された作品でしたが、日本のロックはここから始まりました。やがて本場米国ロックの模倣を越えて、独自の花を開花させます。

(2)吉田拓郎 “春だったね”

 1972年7月発表の拓郎の最高傑作アルバム「元気です。」(写真)の冒頭を飾ります。

 広島フォーク村を率いて、自作自演で生ギターを弾いて登場した拓郎は、その声と旋律と詩で、瞬く間に頭角を現しました。中津川フォークジャンボリーや渋谷ジァンジァンでのライブは伝説となっています。歌謡曲全盛の時代に、全く違う感性で若い世代の心を掴んだのです。いつの間にかフォークの旗手に祭り上げられた彼の真の凄さは、コアなフォークファンを超えて大きな支持を獲得したことです。

 前作「人間なんて」収録の“結婚しようよ”が40万枚を売り上げ、オリコンチャート3位の大ヒットとなったのは1972年3月のことです。拓郎はテレビ出演もセールスプロモーションもなく、突然の如く時代と共鳴したのです。本人はフォーク(定義も曖昧ですが)をやっているつもりはなく、ロックやブルースを消化して、ボブ・ディラン的なロックを目指していました。

 この曲は、ディラン「追憶のハイウェー61」(写真)収録の“ライク・ア・ローリング・ストーン”に似た雰囲気がありますが、ここには社会の矛盾に対する告発も反戦もありません。私小説的な恋する男の素直な思いを字余り調で歌い、拓郎の声に潜む艶が曲に命を与えます。

 そして、この曲の色調を支配しているのは、生ギターのカッティングと、若き松任谷正隆によるハモンドオルガンが溶け合ったサウンドです。ここには、日本の音楽市場が変わる兆しがあります。実況録音盤「ライブ73」にも収録。金管楽器が大胆に導入されハードな仕上がりで、高中正義のギターもさすがです。