「集団の時間」は残業を生むムダか?
それともアイデアの源泉か?

 「集団の時間」をどうとらえるかで、働き方ははっきりと分かれる。

 外国企業から来た幹部は、「集団の時間」を無駄だと考えているから、よほどのことがない限りそこには参加しない。一方「組織の時間」にはしっかり参加して、議論を尽くそうとする。自分の意見ははっきりと主張するが、そこで決まったことには従う。そして、「組織の時間」が終わればすぐに「個人の時間」に突入して、やるべき仕事をきっちりと遂行する。だから帰宅時間も早い。

 そういえば、外国企業のオフィスはパーテーションできっちり区切られていることが多い。「集団の時間」を重視していないからそういうオフィス環境なのか、そういうオフィス環境だから「集団の時間」が発生しにくいのかはどちらとも言えないが、ともかく「集団の時間」を生み出しにくい状況がある。

 一方、日本企業から来た社員たちは、逆に「集団の時間」を充実させようとする。公式な「組織の時間」を否定するわけではないが、より本音が出せる「集団の時間」こそがイノベーションの源泉であり、「組織の時間」では決して語られない本当に必要な情報を交換する場所でもあると思っているのだ。

 また、「個人の時間」に関しても、純粋に一人で孤独に努力をするより、「これどう思います?」など周囲の人にも見てもらいながら仕事を進めていくことも多い。すなわち、“純粋な”「個人の時間」にならない。こういう仕事のやり方だと、余計なことに首を突っ込むことも多くなり、結果的に、帰宅時間は遅くなる。外国企業の幹部から見れば、「遊んでいるからそういうことになる。自業自得だ」といったところだろうか。

「集団の時間」を撲滅させれば
日本企業の強みが失われる

 さて、ここからはタイトルの問いについて、みなさんと一緒に考えたいと思う。「集団の時間」は、善なのだろうか、悪なのだろうか。

 私は以前、ハンズオン型のコンサルタントとして、企業の社内に席を作ってもらいパートタイマー的に仕事をしていたことがある。外注も含め、こういう立場の人間や、子育て中などで「時短勤務」をしている人、社外の活動をしている人にとっては、外国企業の幹部のような仕事の進め方をする企業のほうがよほどありがたい。