東京オリンピックを境に日本は急速に工業化を進めていった。昭和30年代から50年代にかけて、埋め立てなど湾岸の開発も進み、海も汚染されていく。

「昔の生活排水も問題だったけど、干潟がなくなるのが一番いけないらしいんだよね。人工干潟とか最近は試みられているけど、大学の先生に言わせるとやっぱりちょっと違うらしい」

 意外だったが1960年代から魚類の漁獲量にはそれほど変化がない。減ったのは主に佃煮に使う貝類と藻類(海苔の類)なのだ。

「江戸前の海苔を使った佃煮をつくりはじめたのは俺の代から。なんで東京湾のものがないのかな、と疑問に感じたの。東京湾が目の前にあるのに、と。『どうやったらできるのかな』と、いろんな漁協に連絡をしたんだけど最初は門前払いだったわけ。それでもようやく一人、紹介してもらえて毎年、そこから海苔を買うようになった」

この日、納入された木更津産の海苔。今シーズンはこれで最後らしい

 仕入れ方法はその方から朝、水揚げの時の連絡が入ると、ダンボール、量り、現金を持って、車を走らせる。東京湾アクアラインがまだない頃だ。海から揚がった海苔を脱水するところまでは漁師の仕事。港につくと宮島さん自ら、海苔の重さを量り、ダンボールに詰める、という具合だった。

「支払いは今でもそうだけど現金。1年分の量を仕入れて冷凍しておくわけです。海苔は今くらいが最後だけど、これから茎わかめ。その後は横須賀の昆布。あさりも良くなってくるから、仕入れちゃうよね。だからうちは結構、大変(笑)」

──現金取引ばかりだと資金計画の面で大変そうですね。

「まあね。でも、東京湾の漁師を買い支える意識っていうかな……うちは『仕入れてやる』なんて全然思ってないもの。『つくってもらう』っていうか、彼らだって自分でつくったものが現金になったら当然、いいじゃない」

──東京湾の漁師がいかに残っていくか、という話にもなると思いますが。

「うん、あると思う。結局さ、俺達は原料がなくちゃ商売にならないわけだ。そのためにいただいているという気持ちしかない。当たり前のことだけど、ね」